大矢博子の推し活読書クラブ
2024/10/02

中井貴一・宮本信子主演「母の待つ里」同じ里、同じ母のもとに帰る三人の壮年男女…… どういうこと? ミステリとしても超一流な感動作! 原作とドラマの違いを解説

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は名優の勢揃いが圧巻のこのドラマだ!

■中井貴一、宮本信子・主演!「母の待つ里」(NHK・2024)

 前回の『地面師たち』のコラムは「大河ドラマかなと思うような豪華な俳優陣」という言葉で始めたが、まさか同じ言葉を二度使うことになるとは。メインキャストが中井貴一、松嶋菜々子、佐々木蔵之介、そして大御所宮本信子って何それ。戦国大河が4本(さて何でしょう?)作れるじゃないか。

 だがこのドラマでは、彼らを上回る(かもしれない)名優を発見してしまった。しかも原作には登場しないオリキャラである。それが誰かは後述するとして、まずはあらすじから紹介しよう。原作は浅田次郎の同名小説『母の待つ里』(新潮文庫)だ。

 大手食品会社の社長、松永徹が東北地方の鄙びた村に降り立った。故郷を出て40年以上になる。そんな徹を見つけた農夫から「松永さんとごのトオッちゃんだ」「お母(が)さん、首さ長ぐして待ってるど」と声をかけられ、茅葺き屋根の曲がり家では、86歳のちよが親不孝を責めもせず迎えてくれた。最初は堅苦しく応対していた徹だったが、次第に心がほぐれて──。

 というのがドラマ第1話、原作の第1章の導入部である。もうここの導入部の引きが素晴らしい! ただ還暦がらみの男がずっと不義理をしていた実家に久しぶりに里帰りをした、という極めてシンプルな話なのだが、ドラマを見るうちに、あるいは小説を読み進むうちに少しずつ違和感が膨らんでいく。徹の様子がおかしいのだ。

 ドラマより小説の方がその違和感がわかりやすいので、少し引用しよう。たとえば村で同年配の男を見かけて「もしや中学か高校で机を並べた、同級生ではないか」と考えたあとで「むろん、そんなはずはないのだが」と打ち消す。なんで? あるいは曲がり家の佇まいを見て「何もかも忘れ去ってしまったけれど、松永徹が生まれ育った家であるらしい」──忘れ去った?

 極め付きはこれだ。徹は母に「お名前は」と尋ねるのだ。しかも「忘れたわけじゃないんです。お名前ぐらいは──」と続ける。もうこの段階で読者の脳内には数えきれないほどの「?」が飛び交うのだ。家を覚えてない、母の名を知らないって、何それ。どうも「親不孝な息子の帰省」というだけではなさそうだぞ、と。


イラスト・タテノカズヒロ

■牧歌的な母子物語かと思いきや……

 名前を尋ねるくだりはドラマでも原作通りに再現されていたが、その他の徹の「心の声」はナレーションが入るわけでもなく、徹役の中井貴一さんのちょっとした表情や仕草で視聴者に「おや?」と思わせてくる。久しぶりだから戸惑ってるのか、それ以外の理由で戸惑ってるのか、どちらとも取れるぎりぎりの演技に驚いた。このあたりはさすがだなあ。

 で、この奇妙な帰省がどういうことだったかというと──それがドラマ第1話の途中、原作第1章の最後で明かされるのだけれど、いやあそうきたかと。見えていた光景がガラリと変わる、見事なオチである。原作はこの1章だけでめちゃくちゃ優れたミステリになっているのだ。これ以降はその真相を前提に話が進むわけだが、それはここには書かないでおこう。序盤に明かされるとはいえ、本書の大きなサプライズであることは間違いないので、ドラマでも原作でもぜひご自身で味わっていただきたい。

 続けて、循環器内科のベテラン医師・古賀夏生(松嶋菜々子)や、定年と同時に妻から離婚を切り出されひとりになった室田精一(佐々木蔵之介)が、それぞれ「東北地方の実家」に里帰りし、母に迎えられる。そのふたりを迎える母とは、徹を迎えたちよ(宮本信子)である。徹が出会った農夫は、夏生にも精一にも会ってほぼ同じセリフを告げる。ドラマと原作、どちらも未見/未読なら、どういうことなんだかさっぱりわからないでしょ? 気になるでしょ? だったらすぐさま原作や配信を確認するがいいよ。よくもまあこんな設定を考えたもんだなあ。

 この設定の興味深いところは、読者に2種類の楽しみ方を提供しているという点だ。徹パートは謎と謎解き、そしてサプライズを。夏生と精一のパートは仕掛けがわかっているからこそ彼女らの孤独や後悔が浮き彫りになっていく。夏生と精一のパートも徹同様真相を隠したまま進めていたら、とてもふたりが抱えた穴のような寂しさは描けなかったろう。

 加えて言えば、夏生と精一のパートは徹が体験したミステリの、詳細な種明かしも兼ねている。徹パートの最後で真相が明かされた時、え、そういうことだったのならアレはどういうこと? アレもそうなの? と読者は思うだろう。それが後のパートできちんと解説されるのだ。しかもそのひとつひとつが感動的なのである。本書は謎解きパートが全体の8割を占めるミステリと言ってもいい。

■原作とドラマ、ここが違う

 と、内容に触れずに構成の話ばかりしているのは、真相を隠している以上、第2章以降の展開に踏み込めないからである。いい場面はたくさんあったのに言えないなんて、ああ、まどろっこしい! ただ、興味深い改変がふたつあったので、それに触れておこう。

 ひとつは原作からカットされた場面。原作では室田精一が東京の墓終いをして、東北の村に墓を移そうとする。それを聞いた彼の妹が驚いて、村まで偵察に来るのだ。彼女が乗ったバスには松永徹も乗っている。──と、これだけで、ドラマを見た人には「一大事だ!」ってわかるでしょ? 妹に会った村の酒屋さんや住職さんがどんな対応をとったか、ぜひ原作で確かめていただきたい。いやあ、あれは焦るわ。

 もうひとつは逆に、原作にはないエピソードがドラマに加えられていた点。夏生と精一が実家で鉢合わせた場面だ。あれはドラマオリジナルで、観ながら「マジか夏生!」と焦り、実際に顔を合わせた瞬間の夏生の咄嗟の対応の素晴らしさに感動した。頭のいい人だ、というのがそれだけで伝わる上手い演出だ。さらに夏生パートでは、家の中に薬が置かれているのがさりげなく映されている。これも原作にはない。ラストへ向けての伏線が映像で仕込まれていたのだ。

 また、ドラマの夏生パートでは、原作以上に「裏側の種明かし」が見られるのも楽しい。なるほどそういう仕掛けだったかーという、原作にはいちいち出てこない部分を映像で見せてくれる。そしてそれはこの村がどういう場所なのか、村人たちがどういう人たちなのかを如実に表していて、切なくもよりいっそう温かく感じられた。

 そうそう、これにも触れておかねば。ちよが子どもたちに話して聞かせる昔話もすべて原作にあるが、ドラマでは文楽で表現していたのには唸った。また、原作では田村健太郎(ドラマでは満島真之介さん)に話してきかせた昔話で物語が終わるが、ドラマはもう少し先まで見せてくれる。原作をすでに読んだ人もドラマで見ると新たな発見があるし、ドラマを先に見た人は原作で「こんなエピソードがあったのか」と驚いてもらえるという、どちらが先でもwin-winなのだ。

 そして冒頭に書いた、中井貴一さんらを超える(かもしれない)名優とは──アルゴス役ののこちゃんである。いやもうあの子天才じゃない? 迎えに来るし道案内するし側を離れないし、完璧じゃないか。原作には出てこないアルゴス、私はキミにこのドラマの最優秀助演男優(女優?)賞を贈るよ!

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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