大矢博子の推し活読書クラブ
2024/11/13

黒木華主演「アイミタガイ」短編集をどうやって長編映画に? 構成を大胆に変えてテーマがより明確に 「原作どおり」と思わせてくれる幸せな映画

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は短編集を一本の長編に再構成したこの映画だ!

■黒木華・主演!「アイミタガイ」(ショウゲート・2024)

 いい映画だったー。どこかピンポイントでぐちゃぐちゃに泣くというのではなく、気づいたら後半ずっと静かで温かな涙がこぼれてたみたいな、そんな映画。そして見終わったあとの温もりがじんわりと沁みるような気持ちは、原作小説の読後感とまったく同じだった。

 原作は中條ていの同名小説『アイミタガイ』(幻冬舎文庫)。大好きな小説だったので映画化の話を聞いて嬉しかったのだが、同時に疑問にも思った。だって原作は短編集なのだ。登場人物にゆるいつながりはあるが(そしてそのゆるいつながりこそこの話のポイントなのだが)、話自体はそれぞれ独立しているのである。それを一本の映画にするの? どうやって? とりあえずは原作から紹介しよう。本書には5つの短編が収録されている。

 第1話「定刻の王」は、電車通勤のサラリーマンの話。ある日、いつも電車で一緒になる中年男性が座席ですっかり寝入っていることに気づく。そろそろ降りる駅のはずだが、知り合いでもないのに声を掛けるのもはばかられる。そして彼がとった方法は──。

 第2話「幸福の実」は訪問ヘルパーが主人公。ウェディングプランナーをしている姪からピアニストを探していると相談され、自分の訪問先の老婦人を思い出す。しかし気難しい人物なので引き受けてくれるとは思えず──。

 第3話「夏の終わり」は、カメラマンの娘を事故で亡くした夫婦の物語。娘の死後になって初めて、娘が生前、児童養護施設の子どもたちと交流を持っていたことを知る。

 第4話「ハートブレイク・ライダー」は中学受験に失敗した小学生の話。同じ塾に通う友人たちが志望校に合格する中、どうしても報告に行く気になれず──。

 そして第5話「蔓草」は、親の離婚の影響で結婚に踏み切れないヒロインが父方の祖母を訪ねる話だ。ところが祖母の家で、父が新しい家庭でもうけた腹違いの弟と出会う。気まずい思いをする中、隣家で小火が起きて──。

 すでに映画を観た人は各話の説明を読んで、なるほど、と思ったのではないだろうか。映画はこの5篇の中から第4話を除く4篇を絶妙に組み合わせて一つの物語にしていたのだ。


イラスト・タテノカズヒロ

■短編の人物相関図を組み替えて長編に

 映画のストーリーを見てみよう。映画版の主人公はウェディングプランナーの梓(黒木華)。高校時代からの親友でカメラマンをしている叶海(藤間爽子)が事故死するも、それを受け入れることができない梓は持ち主のいなくなった叶海のスマホにメッセージを送り続けている。そんなとき、仕事で担当している金婚式で演奏予定だったピアニストの都合がつかなくなった。急遽代わりを探さねばならず、訪問ヘルパーをしている叔母(安藤玉恵)に相談する。

 一方、叶海の四十九日法要の日、知らない児童養護施設から叶海宛にカードが届いた。叶海の両親(田口トモロヲ・西田尚美)が不審に思い連絡をとってみると、叶海とその施設に意外な交流があったことを知らされる。

 まず大きな改変として、原作では第2話でちらっと出てくるだけのウェディングプランナーを主人公にして物語を再構成した点が挙げられる。そして梓というのは原作第5話のヒロインの名前であり、映画でも梓が祖母の家を訪ねる展開になる。つまり、第5話の主人公の仕事がウェディングプランナーで、第3話で亡くなったカメラマンと親友だった、というふうに設定を組み替えたわけだ。なるほどねえ。

 もちろん第1話で「この人起こした方がいいよなあ」と悩む若きサラリーマン・澄人(中村蒼)も準主役級の役どころで登場する。ただこの人物については原作でも彼の役割がわかるのは少し先なので、ここでは触れないでおこう。原作通りのエピソードが登場する、というだけにとどめておく。

 逆に原作からカットされたのは第4話の他、第5話の「腹違いの弟」だ。梓と弟を巡るエピソードはすべてカットされ、代わりに梓は恋人を伴って祖母の家を訪れる。だがそれ以外は原作にあったエピソードをそのまま踏襲しており、構成を大胆に変えながらも「原作通り」と思わせてくれる映画になっていた。

 一方、原作にないエピソードもいくつか加えられていた。梓と叶海が高校時代に友達になり、互いの進路の後押しをし合った仲だという設定もそうだし、ふたりでどこかの家から流れてくるピアノを聴いていたというのも映画オリジナル。叶海の死後にメッセージを送り続けるというのももちろん原作にはない。澄人が訪れる宝飾店も原作には出てこない。

■加えられたエピソードでテーマがより明確に

 こうしてみると、基本的には原作の設定やエピソードを再構成しながらも、カットした場面や新たに加えた場面も多く、そういう意味ではかなり大きな改変がなされていると言っていい。それなのに映画を観た印象は「原作通り」だったのだ。それはなぜか。原作に込められていたテーマがみごとに再現されていたからに他ならない。

 原作の5篇はそれぞれ別の話ではあるが、ごくわずかに、登場人物がつながっている。だが本人はつながっていることに気づいてない、というのがポイント。たとえば第1話の澄人は悩んだ末にある方法で寝込んでいた男性を起こす。この話はここで終わるのだが、ここで起こしてもらった中年男性が別の物語に登場するのだ。そして乗り過ごさずに済んだことが彼にとってとても重要なことだったと読者に伝えられるのである。

 澄人にすれば、ただのささやかな親切に過ぎない。起こした男性がどうなったかなど知る由もない。けれどその男性にとって澄人は恩人になる。このように、当人の知らないうちに誰かを助けている、誰かの背中を押している、そういう目に見えないつながりでこの世界は成り立っているということを、この物語は描いているのだ。

 映画で加えられたエピソードはすべて、そのテーマを補完するものだった。高校時代の梓と叶海が聞いたピアノ。澄人と宝飾店の店主の出会い。そして梓が叶海のスマホに送ったメッセージ。原作にはないこれらの話はすべて、同じところに収斂する。誰かに救ってもらった、そして自分もまた知らないところで誰かを救っている。相身互い、である。

 しかも、この人とこの人の間にそんなことが、といちいち説明しないのがいい。本人たちは知らずとも、読者や観客にはそれが伝わっている。そして登場人物の中でただひとり、そんな奇跡のようなつながりに気づくのが梓だ。けれど梓はそれを口にしない。気づいたときの驚き、納得、感動といったものが、すべて黒木華さんの表情だけで伝えられる。黒木さんの表情の、なんと雄弁なことか! 「どうしたの?」と問われて「なんか、わーっとなっちゃって」とだけ言うのだが、「わー」としかいいようのないさまざまな感情が一気に押し寄せてきたのがこちらにも伝わるのだ。

 なお、映画でカットされた第5話の梓と弟の話もすごくいいので、ぜひ原作もお読みいただきたい。安藤玉恵さんが演じたホームヘルパーが主役の第2話も、映画とはまた異なる読み心地がある。映画は4つの話の登場人物をつなげているので「知らないうちにできていた縁」がわかりやすいが、原作で描かれる縁はもっとささやかで、その分、リアルだ。自分も知らないうちに知らない誰かを励ましているのかも、と思えて幸せな気持ちになれるぞ。

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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