横浜流星主演「正体」原作者も謝った残酷な結末 映画では二つの大きな改変で「救い」と「テーマの補強」をやってのけた 原作小説ならではの楽しみも残る良い改変
推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回はいろんな横浜流星が味わえるこの映画だ!
■横浜流星・主演、吉岡里帆、森本慎太郎・出演!「正体」(松竹・2024)
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- 正体
- 価格:990円(税込)
原作は染井為人の同名小説『正体』(光文社文庫)。一家3人を惨殺したとして死刑宣告を受けた鏑木慶一が移送中に脱走する。鏑木はその後、名前と身分を偽ってさまざまな場所に潜伏。だが不思議なことに凶悪犯であるはずの鏑木は、行く先々で困っている人を窮地から救うのだ。
しかしどこでも結局は彼が手配中の脱走犯だと気付かれ、逃走を繰り返すことになる。そして逃走から1年半が経ったある日、鏑木はとある介護施設にバイトとして現れた。その施設には、一家惨殺事件の生き残りである若年性アルツハイマー症の女性が収容されている。いったい彼の狙いは何なのか──。
と、実はここまでは2022年4月にこのコーナーでWOWOWドラマ版「正体」を紹介したときのコピペである。亀梨和也さんの主演だったこのドラマは結末を原作から大きく変えていたのが印象的だった。ただ連続ドラマは原作同様、鏑木が逃走中に出会った人の物語を主軸にした一話完結のオムニバス形式だったのに対し、今回は一本の映画だ。さてどうするのかな、とまずはそこに注目した。
原作で鏑木が出会うのは、工事現場で働く和也、ウェブメディアの会社に勤める沙耶香、痴漢冤罪被害を受けてスキー場の民宿で働く弁護士・渡辺、パン工場で働く節枝、そして介護施設に勤務する四方田と舞。このうち映画ではパン工場のエピソードがカットされた他、沙耶香の父が冤罪被害を受けた弁護士というふうに二つのエピソードが一つに組み合わされていた。冤罪被害とウェブメディアを一つの話にするという改変は、亀梨ドラマ版と同じだ。ちなみにどちらにも、スキー場の話は登場しない。
つまり原作の五つの潜伏先が三つになっていたわけだが、物足りなさは皆無。一つ一つのエピソードが濃密なのだ。鏑木と出会い、心を許し、そのあとで正体に気付き、驚き、怯え、けれどどうしても彼を悪い人だとは思えない。そんな人々を、森本慎太郎、吉岡里帆、山田杏奈が好演した。
イラスト・タテノカズヒロ
■ここに注目! 原作と異なる二つの大きな改変
亀梨ドラマ版は結末を大きく変えていたのと同様、今回の映画でも結末は原作と異なる。これが一つめの大改変。原作・映画ともに結末を明かすわけにはいかないが、原作が発表されたあと、「この結末は辛い」という趣旨の感想が著者のもとに多く届いたという。それを承知で著者は「すまなかった」とある登場人物に後書きで謝りつつ、文庫化の際にも結末を変えることをしなかった。それは、その結末だったからこそ伝わる現実のシビアな問題があるからだ。
しかし亀梨ドラマ版も映画版も、ありていに言えば原作読者が「こんな結末だったら良かったのに!」と考えた通りになっている。これは大きな救いだ。特に映画は途中まで原作通りだと思わせておいて──というやり方なのがニクい! さらに亀梨ドラマ版にはなかった(原作にももちろんなかった)場面が終盤に二つ用意されていた。
一つはクライマックスの会話を、リアルタイムで配信したこと。これによって鏑木の言い分が不特定多数に広まることになった。これ大事。そしてもう一つは──「再会」とだけ言っておこう。誰と誰がどこで再会するのかは映画を見てご確認いただきたい。「再会」した人たちが、それぞれの気持ちに落とし前をつけるめちゃくちゃいいシーンなのだ。パンフレットによればそのシーンは後で加えられたらしいが、考えついた脚本家も取り入れた監督もグッジョブ!
そしてもう一つの大改変は、鏑木を追う刑事・又貫(山田孝之)の物語を加えたこと。原作にも又貫という刑事は登場するが、ただ追っている役割にすぎない。しかし映画では、この又貫の迷いや葛藤を色濃く描いた。これにより、テーマがぐっと際立ったのだ。
テーマとは何か。これは書いてしまってもいいと思うが、原作を読むうちに、あるいは映画が進むにつれて、読者や観客は「鏑木って本当に一家惨殺の犯人なの?」と疑問を抱くはずだ。作中で彼と出会った登場人物たちも皆、「彼がそんなことをしたなんて信じられない」と考える。もしかして冤罪なのか。それとも何か事情があったのにそれが斟酌されていないのか。
冤罪、あるいは何らかの事情の存在。冤罪被害を受けた弁護士のエピソードが、そのテーマを補強していく。だがそんな可能性に蓋をして、又貫が彼を追い続けるやるせない理由とその後の決断が、この映画には描かれているのである。逃亡犯も、彼を匿った人たちも、彼をこわがった人たちも、そして追う刑事もまた、皆、人間なのだ。これは原作にはなかった視点だ。なるほどなあ、そこを見せるか!
■「視点人物がいない」映像の強みを堪能せよ
小説には常に「視点」が付きまとう。一人称主人公はもちろんのこと、三人称であっても誰の目を通しての描写なのかによって物語の見え方が違う。原作は一話ごとに、和也、沙耶香、渡辺、節枝、舞が視点人物となり、彼らの生活や悩みが綴られ、その中で鏑木と出会うという構成だ。視点人物が鏑木との出会いによって何を感じ、何が変わったかがつぶさに描かれる(だから映画の後で原作を読むと、それぞれの場面で彼・彼女らが何を考えていたか、もっとよくわかるよ!)。
各話において、主人公はあくまでも語り手であり、鏑木はそこに入ってきた一要素でしかない。それは言い換えれば、この原作において鏑木の内面が描かれることは一切ない、ということだ。彼が何を考えているのか、どんな人物なのか、それは語り手が見聞きしたものを通してしか読者には届かない。なのに、次第に鏑木という人物の輪郭が見えてくる。それが小説の面白いところであり、小説家の腕の見せ所だ。
翻って映像作品の場合、乱暴に言えば視点人物というものは存在しない。和也のパートも沙耶香のパートも、彼・彼女が中心ではあっても、彼らが何を考えているかは小説の地の文のようにすべてモノローグで説明してくれるわけではなく、その表情や行動といった演技で観客に伝えるしかない(これがまた役者の腕の見せ所!)。刑事の又貫も然り。これが映像作品の面白さなんだよなあ。
上記二つの大改変の他に、もう一つ注目してほしい改変がある。終盤で、鏑木が自分の素直な気持ちを語る場面があるのだ。ずっと逃げてきた、なぜ逃げたのか、逃げている間どうだったのか。それを原作には出てこない鏑木自身の言葉として横浜流星が訥々と語る。ここがもう、すごくいい! 原作を読んで想像していた鏑木の内面の、一段上を行かれた感がある。そうか、そうだよなあ……(感涙)。
おっと「推し活」パートについて書くスペースがなくなってきたぞ。まずは何といっても横浜流星七変化。役者ってすごいな。どこが横浜流星?にはじまって、沙耶香のパートで初めて「あ、横浜流星だ」と思ったさ。そして個人的には「変化する和也」を演じた森本慎太郎に喝采! 金髪でヤンチャで汚部屋に暮らしていた序盤から、髪の色が変わり、部屋の中の様子が変わり、彼自身が変わっていく様子をその見た目だけで表現した。
ところで、原作の結末だったら、和也たちはその後、どうしただろう? 原作を未読の方は、映画のあとでぜひ原作を読んでいただきたい。ショックを受けると思う。だがそれこそが、今もどこかで起きているかもしれない現実であり、現実が持つ残酷さなのだ。
大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。
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大矢博子
- 書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。