大矢博子の推し活読書クラブ
2024/12/25

江口洋介・主演、蒔田彩珠・出演「誰かがこの町で」至るところに“同調圧力”あり?! コロナ禍の胸糞悪い記憶を想起させるサスペンス 原作に忠実なドラマ版と、輪をかけておぞましい原作を解説!

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は同調圧力の怖さに震えるこのドラマだ!

■江口洋介・主演、蒔田彩珠・出演!「誰かがこの町で」(WOWOW・2024)


 原作は佐野広実の同名小説『誰かがこの町で』(講談社文庫)。2020年に『わたしが消える』で江戸川乱歩賞を受賞した著者の、受賞後第1作として刊行された。

 弁護士事務所を営む岩田喜久子のもとを、望月麻希と名乗る若い女性が訪ねてきた。岩田の親友で19年前に失踪した望月良子の娘だという。家族がどうなったのか知りたいという麻希に、はたして本当に良子の娘なのか確信の持てない岩田は、調査員の真崎に彼女の背景を調べるよう命じる。

 真崎が調べた結果、麻希は良子の娘に間違いなく、19年前に児童養護施設に連れてこられたことが判明。その時、麻希とともに預けられた書類には、「本人の身に危険が及ぶ可能性があるため、取り扱いに注意すること」という一文とともに岩田の連絡先が貼られていた。いったい19年前に何があったのか。真崎は当時良子が住んでいた町へと向かったが……。

 という筋と並行して描かれる、もうひとつの物語がある。埼玉県北部のニュータウンで起きた6歳の子どもの誘拐殺害事件だ。木本家の一人息子である貴之が遺体で発見され、町民たちは町外れの団地に住む外国人のしわざに違いないといきり立つ。だが結局、事件は迷宮入り。そんな中、貴之の母・千春は違和感を覚えていた。この町の人々の防犯意識はちょっと異常ではないか?

 というのが原作・ドラマの両方に共通する導入部だが、ここでちょっと困っている。この物語は、原作・ドラマともに真崎が過去の事件を調べるパートと、そのニュータウンでの幼児誘拐殺害事件とその後の出来事が並行して描かれるのだが……うーん。まあ、仕掛けやトリックにかかわるところではないのでいいかな。もしドラマを未見で、どんな些細なことも知らずに小説を読みたい、という人はここから先は読まないでください。

 ということで明かしてしまうと、ニュータウンのパートは約20年前が舞台なのだ。つまり過去と現代、ふたつの時勢を行き来する構成になっているのである。ドラマは最初から2001年、2024年とテロップを出して進むが、原作でそれがわかるのは第2章の途中。それもきわめてさりげなく、登場人物の年齢の描写で伝わるようになっている。そして3章になって赤ん坊の麻希が登場し、読者はそこで初めて「あ、そういうことなの?」と状況を把握するわけだ。些細なことではあるが、気づいた瞬間の「そういうことか」という小さなカタルシスも小説を読む楽しみのひとつなので、ちょっと回りくどい説明をさせてもらった。


イラスト・タテノカズヒロ

■原作に極めて忠実なドラマ化、でもここが変わってる!

 結論から言うと、ドラマは極めて原作に忠実だ。ふたつのパートの時代を最初から明記していることや地名を変えていることなどの違いこそあれ、それ以外は、物語の展開も登場人物の相関図も、はてはセリフまで、きっちり原作の通りに進む。

 だがそれでも「あ、ここ変えたんだ」と思った箇所がふたつあった。ひとつは終盤で(本放送はまだ第3回だけど、オンデマンドで最終回まで観て書いてます)、〈犯人〉が証拠を隠滅しようとする場面が追加されていたこと。ここは原作を読んだとき、「そんなこと話しちゃったら証拠を隠されちゃうのでは?」と思った場所だったので、なるほど納得の改変だ。ドラマのクライマックスとしても、盛り上がる演出だった。

 もうひとつは主人公、真崎の前歴だ。原作では彼は自動車メーカーに勤務しており、リコール隠しに加担したという過去を持つ。一方ドラマでは、真崎の前職は政治家の秘書。二重帳簿、つまり裏金作りに手を染めたというふうに変えられていた。話の筋をすっきりさせつつ原作のテーマにちゃんと沿った、いい改変だと思った。ただ原作の「会社」という身近な例の方が身につまされたけども。何がって? それがこの話のテーマだ。

 この話のテーマはずばり、同調圧力である。犯罪のない安全で安心な町を作るために、価値観の合わない人を排除していく町民たち。これは間違っているとわかっていても、逆らえば自分が排斥される。仕方なく思いとは別の行動をとってしまううちに、それがいつの間にか当たり前になっていく。むしろ正しいことをしているとすら感じ始める。その恐ろしさ。ニュータウンはそれが暴走した例なのだが、その町だけが異常なのではなく、身の周り至るところに同調圧力があるという例を原作者は丹念に綴っていく。
 
 いやもうその描写が辛い──いや違う、胸糞が悪い、というのが正しい。自分たちだけの評価軸で他者を裁き、陰湿にいじめて追い出す、それが「正義」だと信じる人たち。好きな俳優さんが演じれば少しは胸糞悪さが減るかと思ったが、逆だった。尾美としのりさん、あなたそんな人じゃないでしょもっとイイ人でしょ、宮川一朗太さん、「光る君へ」でのぼんやりした右大臣に戻って、と何度も画面に向かって訴えてしまったよ。上手い作家が胸糞悪い話を書くとホントに胸糞悪くなるし、上手い俳優が胸糞悪い芝居をするとマジで胸糞悪くなるんだと実感した。糞糞書いてすみません。
 

■原作の胸糞悪さはドラマの上を行くぞ、震えて眠れ!

 共感能力の高い人はドラマを見てると辛くなるかもしれない。癒やしがでんでんしかないんだもん。でも大丈夫だから! 最終回に怒涛の展開があるから! それに、まだドラマの方がマイルドなのだ。原作はもっと微に入り細を穿って胸糞悪いぞ。何が胸糞悪いって、原作には普通の人が同調圧力に巻き込まれておかしくなっていく様子がしっかり描かれるのである。木本家の夫であり殺された貴之少年の父だ。ドラマで演じたのは戸次重幸さん。

 もうこの夫が! 夫がダメすぎる! ドラマでは比較的序盤から「町民側」の夫だったが、原作ではことあるごとに「前の夫はこんなじゃなかった」という妻の独白が入るため、彼の変化が如実にわかる。前は妻の家事に感謝して、頼み事をする時には申し訳なさそうにしていたのに、いつの間にか「女は黙って俺の言うことを聞いていればいい」という態度になる。その町が、夫唱婦随の夫婦の形を「是」としていたから。

 町がよそ者を排斥する様子も原作はすごいぞ。インフルエンザの流行時にはすべてのよそ者の流入を禁じるのだ。荷物の配達などは町の境界に置き場所を設ける徹底ぶり。それでも罹患者が出たら、犯人探しが始まる。

 何それ、いやだなあと思った? でもそれに近いことがコロナ禍のときにあったじゃないか。確かに町の描写は極端だ。けれど前述したように、作者は物語の中に他の同調圧力の例を盛り込んでいく。自分がいじめられないよう、いじめる側に加担してしまった真崎の娘。会社のリコール隠し(ドラマでは政治家の裏金作り)を生活のために受け入れた真崎。「夫婦はこうあるべき」という刷り込みに従ってしまう木本家の夫。この町みたいなことはしないと思う人でも、ではこれならどう?とばかりに、日常の中の同調圧力が手を替え品を替えて登場する。

 同調圧力に屈して仕方なく選んだ道のはずが、いつの間にか普通になり、身勝手な〈正義〉に酔っていく描写のおぞましさとみっともなさ。本書を読んで、あるいはドラマを見て、胸糞悪いと思う一方で、自分は似たようなことをしていないか?と、少し怖くなった。

 だが、これから最終回を観る人は期待していい。これは同調圧力に抵抗する人たちの物語だから。一度は屈してしまった人が、遅きに失したかもしれないけど、それでも曲げてしまった自分を取り戻そうとする物語だから。同調圧力が渦巻く現代だけど、「おかしい」と声を上げる勇気を、この物語は謳っているのだ。

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。 

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