大矢博子の推し活読書クラブ
2025/02/12

松坂桃李主演「雪の花」史実にこだわる原作をどう脚色? カギは女性の描写にあり コロナ禍に重なる江戸末期の感動物語

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は感染症と闘う江戸時代の医師を描いたこの映画だ!

■松坂桃李・主演!「雪の花 ーともに在りてー」(松竹・2025)


 原作は吉村昭『雪の花』(新潮文庫)。幕末に天然痘撲滅のため種痘を広めた福井藩の医師、笠原良策の物語である。

 当時、疱瘡(天然痘)に効果的な治療法はなく、患者が出たら隔離するしか方策がなかった。漢方医だった笠原は無力を嘆いていたが、蘭方医の大武了玄との出会いを機に蘭方医学を志し、京都の日野鼎哉に入門。そこで天然痘の予防に牛痘を用いた種痘、つまり疱瘡に似た病気にかかった牛の痘疱(とうほう)のかさぶたを人間に植え付けるとその人は生涯疱瘡に罹らないという情報を得る。実際に異国では既に行われている方法だと。

 これだ、と思った笠原だったが当時の日本はオランダ以外との交易を認めておらず、輸入は法律違反となる。当時の福井藩主・松平春嶽に直接頼みたいが間に入った役人が事なかれ主義で嘆願を握りつぶしてしまう。ようやく藩主に話が届き、幕府からも認めてもらえたが、今度は「疱瘡の毒を体に入れたら疱瘡になってしまう」と庶民が怯えたり、蘭方を目の敵にする漢方医の妨害が入ったりして、種苗断絶の危機になり……。

 というのが原作のあらすじ、というより史料に残る「史実」である。吉村昭は昭和から平成初期にかけて活躍した歴史小説家だが、その取材は徹底しており、史料のみならず現地調査や関係者へのインタビューを通して、虚構や感情表現をとことん省いたノンフィクション的な作風が(一部例外はあるが)特徴だ。一時は『戦艦武蔵』(新潮文庫)など戦記文学で名をなしたにもかかわらず、証言者の高齢化を理由に80年代には戦史ものの執筆をやめてしまったほどである。それほど史実にこだわる作家なのだ。

 笠原良策に関しては1971年に『めっちゃ医者伝』(新潮少年文庫)を書いたあとで笠原家の御子孫が保管していた史料を見る機会があり、「『めっちゃ医者伝』に訂正しなければならぬことがいくつかあるのを知」って書き直したという。児童向けだったものを大人向けに改稿した決定版と言っていい。ていうか「新潮少年文庫」って懐かしいなあ! 文庫とあるがハードカバーのレーベルだった。学校の図書室だったか市の図書館だったかにあって、私はこれで星新一を知った覚えがある。

 おっと、話がずれた。本書のように近代以前のものを書くときは徹底して史料を調べ、時には当時の人の日記をさらって天気を確認するということもあったという。特に本書は主人公の御子孫が保管していた膨大な資料があったわけで、日付や固有名詞に至るまでかなり信頼性が高いと思われる。泊まった町や宿屋の名前まで詳細にわかってるんだから、逆に言えば、史実を無視しない限り脚色の自由はかなり縛られるのではないか──と映画を見るまでは思っていた。


イラスト・タテノカズヒロ

■脚色の鍵は女性の描写

 ところが! なるほどそこを脚色してきたか、と膝を打ったね。もちろん映画でも笠原良策の功績は史実通りに描かれるし、種痘が広まるまでの苦労も原作ひいては史実に沿っている。笠原良策(松坂桃李)の葛藤、日野鼎哉(役所広司)の熱意、大武了玄(吉岡秀隆)の薫陶、いずれも原作通り。ガチガチの漢方医で蘭学を敵視していた笠原が大武の話に蒙を啓かれる場面など、そりゃコトー先生に言われたら翻意するよなあと、ちょっと笑ってしまった。さすが説得力は抜群だ。

 ではどこに脚色があったか? 女性の描写だ。たとえば芳根京子さん演じる笠原の妻、千穂。映画の千穂はしっかり者で夫を支える一方、武道にも通じて男を叩きのめす場面や、映画のラストでは意外な特技を披露する場面があったりする。このくだりはまるっと映画オリジナルで、原作では夫に頼まれたことに「奔走した」とある程度。セリフはひとつだけで、名前すら出てこないのだ。

 また、映画の序盤で笠原が出会う、村で疱瘡からただひとり生き残った女性、はつ(三木理紗子)。紙漉き歌を歌う美声が印象深いが、彼女は原作には登場しない映画オリジナルキャラだ。また、京都で日野鼎哉の16歳になる娘、お愛(新井美羽)が種痘を受けて見事に成功するくだりがあるが、彼女も原作には登場しない。

 そもそも原作に女性はほとんど出てこないのである。これは史料重視の作者だからこそだ。そもそも歴史史料には女性の記述が少ない。史料重視だからこそ、史料にないのにフィクションとして創造することを吉村昭は良しとしなかった。映画は逆に、そこを膨らませた。たとえ史料になくても、彼女たちは──夫のために奔走した妻や、疱瘡から生還するも痘痕に悩む娘や、自分も役に立ちたいと考える娘は──そんな多くの女性たちは、厳然として存在したはずなのだ。そこを脚色という形で、映画はしっかり描いてくれた。

 そうそう、もうひとつ改変があった。疱瘡に対抗する術を持たない漢方医たちが笠原の妨害をする場面があり、そこで松坂桃李さんの立ち回りがあるのだ。しかも強い! 刃物を持って襲ってくるならず者たちを片っ端から素手でやっつけていく。さすがシンケンレッド。いや待って、笠原良策ってそんな強かったの?と思ったが、原作にはこの場面はない。つまるところ、派手な場面やエモい場面はだいたい映画の脚色なのだが、鬱屈の溜まる展開の直後なのでスッキリしたわ。あ、それが狙いか。

■コロナ禍を経た今だからこその映画化

 本書の原型となった『めっちゃ医者伝』が出たのが1971年、それを改稿した『雪の花』が出たのは1988年である。今から37年も前だ。それがなぜ、今、映画化されたのか。観れば/読めばわかる。コロナ禍がそのまま重なるのである。

 手立てのない感染症、後遺症に苦しむ人々。なんとかしようと足掻く医療従事者の必死の闘い、試行錯誤を繰り返すワクチンの開発。藩主や幕府も後押ししているというのに、それに対して、非科学的な風評や無理解からの批判、医療従事者に対する差別、保身を第一に考える役人が立ち塞がる。幕末の話のはずなのに、なんだか記憶に新しいぞ? 

 映画は原作通りなのである。女性の描写に脚色はあれど、当時の医師たちが向き合った苦労は、史料通りなのである。それが現代に至っても同じことが繰り返されたという、その事実が悲しい。

 特に感じ入ったのは、千穂役の芳根京子さんが発した「私には疱瘡の患者さんを救えない。でもあなたには救える」というセリフだ。誰かを助ける技術を持ったプロがいる。その人を支えれば、自分もまた、誰かを助けることにつながる。千穂はそんな信念を持って行動する女性として描かれている。それはとりもなおさず、素人がプロの邪魔をするなら、それは間接的に患者を死に追いやっている、困っている人を見捨てていることになるのだ。これは医療の話だけではない。原作では描かれない妻をこのように造形した、製作陣と芳根さんのメッセージが伝わる気がした。

 なお、映画では福井の自然の美しさと厳しさの両方をたっぷり味わえたのも印象深い。吹雪の峠越えは撮影だとわかってても死ぬんじゃないかとハラハラした。あれも原作通りなんだからすごいな。だが原作には映画ではカットされた、より詳細な笠原良策の行動が記されている。ぜひ原作をあたってみていただきたい。映画の序盤で、疱瘡で亡くなった人を荷車で運ぶ男たちが皆赤い襷をしていたが、あれが何を意味するかも原作には出てくるよ。

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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