大矢博子の推し活読書クラブ
2025/04/02

高橋文哉、西野七瀬主演「少年と犬」ジャーマンシェパードの演技にアカデミー賞を! “犬と人の感動物語”で終わらない原作も解説

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は犬! とにかく犬! 犬が賢くて可愛いこの映画だ!

■高橋文哉、西野七瀬・主演!「少年と犬」(東宝・2025)


 ……と書いたけども。確かに主演は高橋文哉さんと西野七瀬さんなんだけども。いやもう、これ真の主役は犬の多聞を演じたさくらちゃんでしょう! もう徹頭徹尾、さくらちゃんがすごい。ジャーマンシェパードのメスで10歳だそうだ。何なの犬って演技できるの? どうやってるの? すごすぎるんですけど。犬の10歳は人間でいえば還暦近いらしいが、還暦の私が映画に出てもこんな芝居できないぞ(そりゃそうだ)。アカデミー賞に最優秀主演動物賞があれば受賞間違いなしだ。

 この多聞が岩手県の釜石から熊本まで5年かけて3000キロの旅をする物語が「少年と犬」である。原作は馳星周の直木賞受賞作『少年と犬』(文春文庫)。物語は東日本大震災から半年後の仙台で始まる。震災で職を失った青年・和正は、首輪に「多聞」と書かれたタグをつけた犬と出会う。認知症の母と介護をする姉のために金を必要としていた和正は外国人窃盗団の運転手を引き受け、現場に多聞を連れていくと窃盗がうまくいくことから多聞は次第に窃盗団の守り神として扱われるようになった。だがその多聞は、なぜかいつも南の方(映画では西の方)を見つめていた──。

 というのが原作の第1話「男と犬」のあらすじだ。映画では西野七瀬演じる須貝美羽の回想として語られるので冒頭に現在の彼女が出てくるが、その後、「男と犬」の話はほぼ原作通りに映画でも序盤のエピソードとして登場する。

 だが違うのはここからだ。まず原作は連作短編であることを言っておかねばならない。原作では仙台から(釜石からでない理由は後でわかる)熊本にたどり着く旅の途中で、多聞が出会った人々の物語がそれぞれ短編として描かれるのだ。

 第2話「泥棒と犬」では窃盗団のひとりが多聞を新潟に連れていく。第3話「夫婦と犬」では富山で関係の冷えた夫婦に拾われる。第4話「少女と犬」は事故で片足を失った少女と東尋坊で出会う。第5話「娼婦と犬」では罪を犯した風俗嬢が多聞を飼う。第6話「老人と犬」は島根に暮らす余命わずかな猟師との物語。そして最終話「少年と犬」で多聞は熊本にたどり着くのだ。

 映画では第1話の仙台、第5話の滋賀、最終話の熊本のエピソードを中心に構成された。そして第2話の泥棒と第6話の猟師の話が少しだけまぶされている。第3話の夫婦と第4話の少女の話は完全にカットされた。そしてそれよりも大きな改変がある。映画では滋賀で美羽に飼われた多聞を、和正が仙台から追ってくるのだ。


イラスト・タテノカズヒロ

■原作と映画、変えたように見えて受け継いだテーマ

 原作既読組は「は?」と思っただろう。原作は多聞が移動する以外はすべて一話完結で、話をまたいで登場する人物はいない(名前だけ出てくる箇所はある)。何より、原作通りであるなら、和正が滋賀に来るというのはあり得ないのだ。ああ、そういうふうに変えたのか、これは原作よりもハッピーな展開だな、と映画を見ながら思った。和正役の高橋文哉さんがまた実にイノセントで爽やかだったから尚更! が、あとで叩き落とされることになる。いやもう、こう来るかー。

 したがって映画での美羽と和正のエピソードはすべて映画オリジナルだ。美羽の妹の結婚式(元乃木坂46がAKB48を歌ってる!)やそのあとの琵琶湖で和正が美羽を助ける場面とか、ふたりの会話とか、その後日談とかも、すべて原作には登場しない。

 原作通りにオムニバス映画にすることももちろんできたろう。だがそこをあえて話をつなげ、一本の筋にしたことで、罪を犯したふたりの若者が再生していく物語が、多聞の物語に重ねられた。そしてそれは、多聞自身の物語と、原作者の馳星周がこの小説に込めた思いにも通じるのだ。馳星周がこの物語を書いたのは、地震の被災地に向けて「あなたたちのことを忘れてはいない」と伝えるためだったという。

 映画の中で和正が美羽に向かい、「一度失敗して終わり。それでいいのかよ!」と詰め寄る場面がある。原作にはないこのセリフこそが映画のキモだろう。原作では和正と美羽はともに罪を犯し、その結末がそれぞれに訪れたところで終わっているが、映画ではふたりの「その後」が描かれる。いわば「一度失敗して終わり」だったふたりを、映画は再生させたのだ。それは多聞が震災という多くのものが失われた場所から立ち上がり、目的地に向かって旅をし、そしてその目的地で(おそらくは)目的を果たす姿と同じなのである。ふたりの主人公と多聞は互いが互いの鏡なのだ。

 物語の始まりは2011年の東北。そこから5年かけて多聞は熊本へ行く。2016年の熊本で何があったかは言うまでもない。多聞はそれがわかっていて、熊本に向かったのではないだろうか。一度失って終わり、ではないことを証明するために。そう考えると、原作からこの3話が選ばれたことも、映画後半のファンタジックな展開も、回想として語られるという構成も、すべて腑に落ちるのである。
 

■映画ではカットされた原作エピソード、実は必読!

 とはいうものの。カットされた原作のエピソードがそれぞれとてもいいので、仕方ないとは思いつつ「これも見たかったーーー!」とのたうち回ってしまう。たとえば第4話の「少女と犬」は、多聞と散歩をしたいという思いで少女がリハビリに励む話で、まさに「一度失っても終わりじゃない」を体現する話だ。

 だが実は原作には「失敗したら終わり」という結末を迎えるものもあるのだ(だからカットされたり改変したりしたんだろうけど)。それが第3話の夫婦の話。ふらふらしている夫に愛想を尽かした妻の話だが、このラストはすごいぞ。「マジか多聞!」と思わず前のめりになってしまった。多聞は決して無垢な天使ではなくこんな面もあるのかと思わせる、実にシニカルな話になっている。

 シニカルといえば、第6話の「老人と犬」もそうだ。病に侵され余命わずかな猟師が自分の運命を受け入れ、多聞に看取られて旅立つ──というのが映画に使われた部分だが、原作では彼の環境も最期も大きく異なる。極めて残酷でシニカルな現実が綴られるのだ。このふたつの話は、本書が決して単なる「賢い犬と傷ついた人間が交流する感動物語」ではないことを表している。

 現実は得てして皮肉で、残酷で、人間の都合など斟酌してくれない。馳星周は「犬と人の感動物語」の中に、そんな現実を入れ込んでいく。一編ごとに雰囲気が違い、その違いは、この世にはさまざまな事情を持った人がいるという当たり前の事実を思い出させる。ひとつの筋を作った映画とは異なり、原作はオムニバスだからこそ成立する現実を描いているのである。

 だからこれは、できれば連ドラで見たい。それぞれ独立した話として、多聞が出会った7組の人々の話が見たいなあ。高橋さんと西野さんはともに原作のイメージぴったりで、老猟師役の柄本明さん(もっと長く見たかった!)もさすがだったけど、もし全話映像化されたとしたら、第3話の夫婦は誰がいいか、第4話の少女を誰で見たいかと考えてみるのも楽しい。映画で和正の姉を演じた伊原六花さんと先輩役の伊藤健太郎さんなんて、第3話の夫婦にぴったりだと思うんだけど、どう?

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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