大矢博子の推し活読書クラブ
2025/04/30

岡田将生、佐藤浩市、他・主演「地震のあとで」 原作の背景にある阪神淡路大震災とサリン事件、ドラマが含んだ東日本大震災とコロナ禍…… 変わらない社会の脆さを描く

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は村上春樹の小説を時代を変えてリメイクしたこのドラマだ!

■岡田将生、佐藤浩市、他・主演!「地震のあとで」(NHK・2025)


 本ドラマの原作である村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)は、1999年に雑誌掲載された短編をまとめたもので、2000年に単行本が刊行された。今回ドラマ化された4話の他にタイの山中を舞台にした「タイランド」と、書き下ろしで加えられた「蜂蜜パイ」の全6話が収録されている。

 収録作に共通しているのは、いずれも舞台が1995年2月ということだ。1月に起きた阪神淡路大震災と3月に起きた地下鉄サリン事件。歴史に残る天災と人災に挟まれたその月を、村上春樹は「不安定な、そして不吉な月だ。僕はその時期に人々がどこで何を考え、どんなことをしていたのか、そういう物語を書きたかった。震災の様々な余波を受け、来るべきサリンガス事件の(無意識的)予感の重みを抱えて生きる人々の姿」と記している(講談社『村上春樹全作品1990~2000 第3巻 短編集2』所収「解題」より)。

 ほんの2ヶ月あまりの間に、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件は起きた。個人的な話で恐縮だが、当時私は会社員で大阪市に住んでおり、救援と人探しのために何度も震えながら被災地を歩いた。そしてその状況を報告するため東京の本社を訪れた日に、地下鉄サリン事件が起きた。突然足元が崩れるような、何かの底が抜けて落ちてしまいそうな、そんな思いを別方向から2度味わった。自分の信じていた社会は思いの外脆かったと突きつけられた。自分が被害を受けたわけではないのに、それでも言いようのない不安感はいつまでも離れてくれなかった。

『神の子どもたちはみな踊る』は、その時の物語だ。登場人物たちは直接被災してはいないが、間接的に影響を受けている。日常生活は続いているのにどこか以前とは違う漠然とした不安の中にいる。

 それを今回のドラマ化では、時代背景を変えた。原作では1995年2月というピンポイントの風景だったものを、1995年2月から現在までの長いスパンに置き換え、それぞれの時期の社会の不安を背景に据えている。原作が「阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の間」であるなら、ドラマは「阪神淡路大震災からコロナ禍後まで」だ。


イラスト・タテノカズヒロ

■時代背景をずらしつつも、原作に忠実なドラマ化

第1話「UFOが釧路に降りる」は、舞台も時代もストーリーもすべて原作通り。多分に観念的な会話が繰り返されるのでドラマではわかりやすく変えるかなと思ったが、まったく変えずにすべてそのままだったのには驚いた。強いて原作との違いを挙げるなら、原作の主人公の妻はイケメン主人公と釣り合わない「十人並」と表現されているのに対し、ドラマでそれを演じたのが橋本愛だったということくらいか。橋本愛が十人並ってどこの世界だそれは。しかもセリフは「ん」だけ! なんと贅沢な!

第2話「アイロンのある風景」は、阪神淡路大震災から16年になる2011年1月から3月の東日本大震災前夜にかけてに改変された。茨城の海辺の街で恋人と半同棲中の順子(鳴海唯)と、浜辺で焚き火をする神戸出身の男・三宅(堤真一)の話だ。原作でもドラマでも、最後は順子と三宅が海辺で死について語る場面で終わる。だがドラマではそれが2011年3月10日の夜の話で、半日後に彼らを襲う出来事をこちらが知っているだけに、原作にはなかった差し迫った怖さとジレンマを残す。

第3話「神の子どもたちはみな踊る」は宗教2世としてシングルマザーのもとに生まれた善也(渡辺大知)が生物学上の父を追う物語だ。舞台は2020年3月、新型コロナウイルスの感染者が増え始めた頃に変更された。原作では善也の母は神戸の震災のボランティアに行っているが、ドラマでは9年前に東日本大震災の被災地に向かった母に同行しなかったことで、善也が宗教と袂を分かったという設定になっている。

 ドラマでは善也が、教団の中で父親代わりだった田端(渋川清彦)に「このまま世界が悪い方へ進んでも、田端さんはずっと祈り続けますか?」と尋ねる場面がある。「神は何もしてくれない、助けてくれない」と吐き捨てる。これは原作にはないセリフだ。だが、善也はずっとそれを言いたかったのだろうとストンと腑に落ちた。

「神様は助けてくれない」というのは、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きたとき、多くの人々が痛切に感じたことだった。原作の善也はより個人的な問題も抱えているのだがそれは省かれ、ドラマでは善也が神戸の震災の直後に生まれ、東日本大震災で宗教と決別し、そしてコロナ禍がまさに始まったという設定にすることで、このセリフが「視聴者に共通する積み重なった記憶」を持って迫ってくる。

 ここまでの3話はいずれも時代設定以外は極めて原作通り(セクシャルな文言はかなりカットされているが)。だが最終話となる「続・かえるくん、東京を救う」は違う。原作に収められているのは「かえるくん、東京を救う」だ。ドラマはそれに「続」をつけた。原作の短編の続きなのである。

■「続・かえるくん、東京を救う」で見えてきたもの

 原作の「かえるくん、東京を救う」は、信用金庫に勤める片桐が、喋る巨大な蛙であるかえるくんと出会う話。ふたりはともに地下に潜むみみずくんと戦うことで、東京に起こるはずだった大地震を未然に防ぐというストーリーだった。みみずくんが潜む「地下」は、震災とサリン事件に共通する象徴だ。

 ドラマはそれから30年後、当時の記憶をなくして地下駐車場の警備員をしている片桐(佐藤浩市)のもとに再びかえるくん(声・のん)が現れる。またも東京は危機に瀕しているらしい。だが、片桐は過去のことを忘れていたので、かえるくんが30年前のことを教えてくれる。つまりそれにより原作もちゃんと紹介される親切設計だ。さらに片桐は30年前のことを忘れているので、かえるくんと片桐の会話はふたりが最初に会ったときと同じで、そういう意味では原作通りとも言える。

 じゃあ原作のままでもよかったのでは? そうではないのだ。30年前に神戸の震災が起きた。そのあとでふたりは東京を救った。けれどそれから30年の間に、またいろいろな出来事が積み重なった。そして今回、片桐はかえるくんと一緒に地下に潜り、この30年間の怨嗟の声を聞くのだ。そして気づくと……いや、気づいてからの展開はちょっとびっくりした。もちろんここからはドラマの完全オリジナル。NHKのウェブサイトでは、この話に登場する錦戸亮は「謎の男」と紹介されている。なんだろうと思っていたのだが、なるほど、そうきたか。

 大枠では原作の展開に近いところもあるのだが、30年後という設定と、それを片桐がなぜ忘れていたのかという謎が次第に効いてくる。神戸の震災以降も危機は何度も繰り返され、そのたびに私たちはおろおろ歩き、そしていつの間にか飲み込まれてきた。この時代に生きているということがどういうことなのか。時代を変えてもストーリーを変える必要がなく成立したことで、今も私たちはあの時の「社会って思いの外脆い」という不安の中にいるのだとあらためて突きつけられたのである。これが、物語の時代を変えてリメイクした意味なのだ。

 それにしても、いやあ、のんさんの声、かえるくんぽくてすごくいい! ていうか、かえるくんが鼻歌で「かえるの歌」を歌うのが妙にツボったんですけど。

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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