大矢博子の推し活読書クラブ
2025/05/28

わかりすぎてノタウチまわる! 多部未華子主演「対岸の家事~これが、私の生きる道!~」 原作のテーマを補強・継承したドラマ版 「役者の力」を感じさせるキャスティングも天才! それでも原作で味わうべき「地の文」を紹介

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推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は共感し過ぎて心にいろんなものが刺さってくるこのドラマだ!

■多部未華子・主演!「対岸の家事 ~これが、私の生きる道!~」(TBS・2025)


 ドラマを見るたびに「わかる~~~!」とノタウチ回っている。わかりすぎて辛い時すらあるのだが、それもちゃんと前向きに終わるのがこの話のいいところ。この感覚は、原作の朱野帰子『対岸の家事』(講談社文庫)を読んだときとまったく同じだ。ドラマが原作のテーマをきちんと吸い上げているからに他ならない。

 まずは原作に沿ってあらすじを紹介しよう。主人公は27歳の村上詩穂。居酒屋に務める夫の虎朗、2歳の長女・苺の3人家族だ。14歳のときに母を亡くして以降、高校を卒業して家を出るまで家事を一手に引き受けていた。美容師として働いていたが、「自分はふたつのことが同時にはできない」という理由で専業主婦の道を選んだ。

 しかしママ友を作るべく児童支援センターに行ったとき、そこのママさんたちの会話で専業主婦が絶滅危惧種であり、時代に乗れていないと陰口を言われているのを聞いてしまう。ママ友もできず、夫の帰りは遅く、娘以外と会話する機会すらない詩穂は孤独を強めていく。

 専業主婦の悪口を言っていた中のひとりは、詩穂の隣に住む長野礼子だった。しかしワーキングマザーの礼子も、仕事と家事と子育ての間で限界を迎えていた。また、国交省官僚・中谷達也は外資系で働く妻の代わりに2年間の育休をとったが、エリート官僚をもってしても育児や家事は思い通りにいかない。

 他に、子どもができずに周囲にプレッシャーをかけられる若い妻、母親に認知症の症状が出ても仕事を休めない娘など、それぞれ立場の異なる「対岸」にいる人々の交流を通して、家事という終わりのない労働を描いた物語だ。

 
イラスト・タテノカズヒロ

■このキャスティングを考えた人、天才では

 ドラマでは中谷の所属が厚労省になっていたり、礼子の子どもが罹患するのが水疱瘡からおたふく風邪に変わっていたりという設定の変更や、エピソードの順序の変更(詩穂と父の確執や怪文書事件は原作ではもっと早く登場する)、原作にはないエピソード(第2話の水族館や中谷の娘の熱性痙攣、第5話の英語教室や3家族でのグランピング、第6話の「仕事カムバックプロジェクト」や礼子の会社での講演会など)の追加などがあるが、どれも原作のテーマをより補強するようなエピソードばかりだ。原作ファンも違和感なくドラマを楽しめるようになっている。

 ドラマならではの魅力といえば、なんといってもキャスティング! 主役の多部未華子はもちろんだが、仕事がデキるばかりに家事との両立で追い詰められる長野礼子に江口のりこ、いけすかないけど凄絶な過去を持つ育休パパのエリート官僚・中谷にディーン・フジオカ。このふたりが抜群にいい!

 特に原作の中谷は、読んでいて非常にムカつくタイプである。なんだこいつ一回痛い目に遭え、というか私が痛い目に遭わせてやる!という気分だったのだが、おディーン様が演じると、いや、なんかちょっとポンコツで可愛い……。原作でも次第に「悪い人じゃない」というのは伝わるものの、それでも原作通りのセリフを威丈高にやられると反感を買っただろう。そこに絶妙な「偉そうなのにポンコツ感」を混ぜることでむしろコミカルになり、ツッコミながらドラマを楽しめる。役者の力を感じた。

 何より、ドラマだと原作では登場シーンの少ない脇役も、ちゃんと「人」として出てくるので存在感が増すのだ。その好例が礼子の夫・量平(川西賢志郎)である。家事をまったくしない夫に対し、礼子がキレる。それに対して彼はにべもない対応をするのだ。原作を読んだときにも「おまえ何言うとんじゃ!」と怒髪天を突いたが、顔が見えて声の聞こえる人間がそこにいると会話のリアリティが一気に増し、怒りも5倍増しだった。ただ、実は原作のこの場面には、ドラマにはないセリフがある。ぜひ原作でお確かめいただきたい。

■名言続きの原作の「地の文」をじっくり味わえ!

 とはいえ、この小説は(そしてこの稿を書いている私も)、決して家事をしない夫を糾弾するものではない。自分と違う立場の人を自分基準で判断することの危険性こそが物語の主題だ。礼子の苦しみはよくわかる、詩穂の孤独もわかる、中谷のジレンマも想像できる、でも量平の身勝手さはわからない──となりそうだが、原作では以前育休をとったときの量平の事情も語られ、彼には彼の思いがあることがわかる。

 また、礼子の後輩の今井の件もある。ドラマでも原作と同じエピソードが登場した、有給の理由が愛犬の病気だった青年だ。子どもの病気で休みを取る礼子と思いは同じなのに、動物と一緒に暮らしたことのない私には彼の事情はまったく想像の外だった。語られて初めて、自分基準で登場人物をジャッジしていたことに気付かされたのだ。

 その最たるものが、詩穂の父親だろう。家事をすべて娘に押し付けていた父は、作中では時代遅れの悪役のように描かれる。しかし物語の終盤に、詩穂がこう考える場面がある。

〈昔は、男は家事をしないものだった。今は、中谷が言うには、家事ができない男は能力の低い男ということになっている。でも、それは父の責任だったのだろうか。(中略)昔は、女は主婦になるものだった。今は、礼子の言った通り絶滅危惧種になっている。でも、それは詩穂の責任なのだろうか。/他の人たちは正しい暮らしを選べているのだろうか。ただ、時流とか、時代とか、抗(あらが)うことのできない大きい風に押し倒されただけなのではないか〉

 価値観は時代によってめまぐるしく変わる。これが理想とされた時代に選んだ生き方が、数年、数十年後には間違っていると言われる。そんな中で「これが私の生きる道」と自信を持って過ごすにはどうすればいいのか。それこそがこの物語のテーマなのである。

 役者が演じてくれるわけではない原作の強み、それは、このような「地の文」だ。ドラマのように役者の表情がない分、小説では登場人物が考えたことを「地の文」で伝えてくれる。これがもう、刺さる刺さる。この他にも随所にアンダーラインを引きたくなるような鋭い指摘が山のようにあるので、ぜひとも原作に手を伸ばしていただきたい。

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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