大矢博子の推し活読書クラブ
2025/06/25

池田エライザ主演「リライト」きゅんきゅんキラキラの青春SF映画?! 原作の史上最悪のパラドックスがまさかの大改変 それでも再鑑賞・再読すべき理由を解説

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は原作とまったく印象が違ったこの映画だ!

■池田エライザ・主演、阿達慶、橋本愛・出演!「リライト」(バンダイナムコフィルムワークス・2025)


 わあ、あの『リライト』がわかりやすく、しかもきゅんきゅんキラキラの青春ものになってる! まじか。法条遥の原作小説『リライト』(ハヤカワ文庫JA)は2012年の単行本刊行以来、「史上最悪のパラドックス」「時をかける少女・バッドエンド版」「難解すぎて一度じゃ理解できない」「複雑すぎる、だがそれがいい」などとSFファン、ミステリファンの間で大きな話題になった作品なのだ。それがわかりやすくなってる!

 原作と映画、いろいろ違いはあるのだが、まずは原作のあらすじから紹介しよう。1992年の夏、静岡県岡部町N中学2年生の美雪は転校生の園田保彦から、自分は西暦2311年の未来からある小説を探しにやってきた未来人だと告げられる。ともに本を探す過程で親しくなるふたり。だがある日、ふたりが旧校舎で密会中に突然校舎が崩落、保彦が下敷きになってしまう。

 保彦から貰ったタイムリープの薬を飲んだ美雪は10年後の自宅に飛び、そこで目にした携帯電話を何なのかもわからないまま持ち帰る。それを使うことで救出された保彦は、その携帯電話を取りにくる過去の自分のため10年後まで保管しておくようにと美雪に言い残して未来へ帰っていった。

 そして10年。美雪は小説家になり、中学時代の保彦との思い出を雑誌に連載していた。そして7月21日、あの日の自分のために同じ場所に携帯電話を置き、自らは身を隠して待機していたのだが、いつまで経っても10年前の自分は現れない。過去が変わったのか? いったい何が起きているのか? 物語は2002年と1992年を行き来しながら進む。その過程で次々と妙なことが起きて……。

 というのが原作の導入部だ。中学だったのが映画では高校になり、静岡県岡部町(現・藤枝市岡部町)だったのが広島県尾道になったのが、まず大きな違い。もともと原作にはタイムリープとラヴェンダーの香りを結びつけたり、美雪が書いた小説のタイトルが『時を翔る少女』だったりと筒井康隆の小説『時をかける少女』のオマージュが随所にあったが、映画はそこに大林宣彦監督による1983年の映画「時をかける少女」へのオマージュを重ねてきたわけだ。尾道だし、尾美としのりさん出てるし!


イラスト・タテノカズヒロ

■原作と映画、ここが違う

 では映画はどうか。美雪(池田エライザ)のいるクラスに未来から園田保彦(阿達慶)が転入して、ふたりが親しくなる過程は同じ。だが映画の保彦には本を探しているという設定はない。骨董品屋で買ったという古い本を持っていて、それがこの時代のこの町を舞台にしているのだという。小説の景色を実際に見たかったという理由で未来からやってきたのだ。

 原作の美雪は10年後から携帯電話を持ち帰ったが、映画では10年後の自分と出会って保彦の無事を教えられたあと、一冊の本を見せられる。それは未来の自分が書く本だといわれ、がんばってと言われる美雪。そこで美雪は、保彦が読んでいた本こそこれから自分が書く本なのだと気づき、10年後までに必ず本を上梓するよう励むことになる。その本が存在しなければ、そもそも保彦は尾道に来ようとは思わなかったはずで、それこそ因果が狂うからだ。

 そして10年、ぎりぎりで間に合った『少女は時を翔けた』の著者見本を持って実家の部屋で待っていた美雪だったが、10年前の自分は来ない。どういうことだ? ──というのが映画の導入部である。

 携帯電話から本に小道具が変わったことで、物語の軸がとてもシンプルになった。本を書かなければ保彦は来ない、そうしたら過去が変わってしまう。だが美雪の本が出る直前に、内容がほぼ同じ小説が出版されてしまい、彼女の本は日の目を見なくなる。でもあれは自分と保彦の間にだけ起きたはずの出来事なのに、どうして同じ内容の本が出るのか? それの作者は?

 そのカラクリは原作の真相と同じで、なるほど原作のいろんなトピックを取捨選択して「本の作者」という点にのみフォーカスすれば、この話はこんなにわかりやすくなるのかとびっくりした。原作ではストーカーが出てきたり、中学時代の同級生が3人も亡くなっていて、そのうち2人は殺人事件の被害者だったりと、もっと殺伐とした展開なのである。映画では橋本愛が演じた雨宮友恵なんて、原作はそりゃもう……(それを映像で観たかった気持ちはある。橋本愛がやるとかなり凄まじい感じになったはず)。

 何より原作では、未来/過去の自分と現在の自分が会ってはいけないという縛りがある。これはタイムパラドックスの中でも有名なものなのだが、その縛りをなくした──つまりSFとしてのロジックを緩めたことが、話がわかりやすくなった最大の要因かも。針の穴を通すようなガチガチのロジックを楽しみたい人はぜひ原作を!

■映画も原作も、2回目以降が面白い!

 映画は「何か予定外のことが起きている」ことがわかるまではごく普通のSF青春物語として進む。しかし原作は、序盤から不穏だ。1992年のパートでは映画であったのと同じようなデートの場面や祭りの場面が出てくるのだが、そこで「え? 私何か読み落とした?」と首を傾げ、もう一度前に戻って「あれ?」と思うような記述が何度も出てくる。そもそも序盤から「何かが起きてるけど何が起きてるのかわからない」という事態に読者が追い込まれるのである。

 真相が分かった時点で、序盤のアレはそういうことだったのかと膝を打つのだが、その真相がわかるクラス会の場面もかなり違う。原作のあの場面はもう、なんつーか、うん、怖い。かなり怖い。謎が解かれるカタルシスと世界が崩れるカタストロフが同時に来る。「史上最悪のパラドックス」「時をかける少女・バッドエンド版」と呼ばれる所以である。ぜひ原作で、映画とは違う結末をご確認いただきたい。

 私は原作を知った上で映画を見たが、特に印象に残ったのがクラスメートの酒井茂(倉悠貴)の場面だった。(詳細は書けないが)「それが青春だよ」という原作にはないセリフがもうすごく良くて! 茂、あんた素晴らしいよ! 原作ではあんなことになっちゃうけども。

 ということで骨子は同じなのにきゅんきゅんキラキラの映画とダークで複雑な原作、どちらが先でも楽しめると思うが、むしろこれは再読・再鑑賞をこそ勧めたい。私は原作を知った上で映画を見たので、最初から美雪以外の部分(具体的には内緒)に注目していたのだが、これが実に楽しいのだ。おお、この芝居はあれか、これはそういうことかと、にやにやしながら観たぞ。初読・初見より2度目の方が楽しい作品なのだ。

 さらに原作には続きがある。『リライト』一作でも完結しているのだが、『リビジョン』『リアクト』『リライブ』(いずれもハヤカワ文庫JA)と続いて、その中で『リライト』の内容が反転するというか逆転するというか、別の真相があったのですみたいな展開になるのである。こちらも併せてお楽しみいただきたい。

 そもそも保彦のあれって、透明感あふれる阿達くんの演技と青春ストーリーを前面に出した映画ではかなり緩和されていたが、考えようによってはずいぶんヒドいことしてると思わなかった? 私は原作を読んだとき「なんだこいつ」と思ったものだが、続刊では保彦の行動に対して「わがまま」「あのバカ」と散々な言われようで、ちょっと溜飲が下がったのである。「バカ」と一刀両断される阿達くんを想像すると、なかなかに可愛いと思わない?

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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