大矢博子の推し活読書クラブ
2025/10/08

吉岡秀隆主演、野田洋次郎出演「夜の道標」 30年前の日本に存在した衝撃の“不適切” 「困難」を抱えた子どもたちが直面した残酷な現実と逃走を描く ドラマと原作の違いを解説

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推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は四半世紀前を舞台にしたこのドラマだ!

■吉岡秀隆・主演、野田洋次郎・出演!「夜の道標」(WOWOW・2025)

 原作は芦沢央の同名小説『夜の道標』(中公文庫)。2022年に刊行され、翌年の日本推理作家協会賞を受賞した社会派ミステリだ。今年の春、ドラマ化の発表とともに文庫化された。

 1996年、塾の経営者・戸川が殺されるという事件が起きた。元教え子で、現在30代の男性である阿久津弦が犯人と断定されるが、彼の行方が掴めないまま2年が過ぎた。1998年の今、警察では捜査本部も縮小され、阿久津探しを担当しているのは40代の中堅刑事・平良正太郎と若手の大矢啓吾の二人だけだ。

 殺された戸川は知的障害や困難を抱えた子どもたちを受け入れ、学校に馴染めるように指導していた人格者だ。阿久津もそんな子どもの一人で、戸川を慕っていた。そんな阿久津がなぜ師を手にかけたのか。高校3年で塾を辞めてから18年も経っているのに、なぜこのタイミングだったのか。平良と大矢は動機調べに注力した。

 この本筋とは別に、ふたつの筋が展開する。ひとつは、小学6年生の少年・橋本波留の物語だ。同級生の桜介が道路脇に立っている波留を見つけて声をかけ、立ち止まった波留は車に撥ねられてしまう。声をかけた桜介は自分を責めるが、実は波留は父親に命じられて当たり屋をやっていたのだ。ほとぼりが覚めたら転校して新たな場所で同じことをする、その繰り返しの生活だった。

 もうひとつは、殺人犯である阿久津を匿っている女性・長尾豊子の物語だ。2年前、あるきっかけで阿久津と出会った長尾は、彼を自宅の半地下の部屋に隠して共同生活を続けている。もちろん周囲には秘密だ。阿久津が隠れている家の庭にたまたま波留が入り込んだことから物語が動き出す。

 波留と阿久津と豊子、そして平良。それぞれの事情が絡み合った先に、衝撃の真相が……。というのが原作小説のあらすじである。ドラマでは原作には存在しない登場人物やエピソードが多々加えられているが、大筋としては原作に忠実に進んでいる。


イラスト・タテノカズヒロ

■舞台が90年代であることの意味

 この小説がドラマ化されると聞いたとき、WOWOWはこの96~98年という舞台をどう描くのだろうということにまず興味を持った。ドラマの第4話までご覧になった方はおわかりのようにこれは90年代後半でなければ成立しない話なので、そこを変えることはできない。そしてそれに伴い、「たった30年足らずでこんなに社会が変わった」という大きなテーマがあるのだ。

 原作では多くの人が煙草を吸うとかネットが普及していないなどのわかりやすい部分とは別に、どきっとするような箇所がある。たとえば、阿久津をはじめ戸川の塾に通う子どもたちについての描写だ。今ならそれぞれに診断され分類された症状名がつけられるだろう。だがかつてはもっと異なる表現で、それが差別的な表現だという自覚もないままに呼んでいた。

 さらに原作で衝撃を受けたのは、98年当時のバラエティ番組の様子が描かれる場面だ。当時を知っている人なら「あの番組だ、あのコーナーだ」というのがすぐに浮かぶだろう。私もすぐに思い至った。そして思い至ると同時に、「こんな企画を私は笑って見ていたのか」と愕然としたのだ。

 当時は普通だったこと、当時は何の疑問も抱かなかったこと──それが現代の目で読むと、いわゆる〈不適切にもほどがある〉という状況になる。それこそがこの事件の背景にある。90年代が舞台のこの物語で刑事たちは70年代の出来事を知って〈不適切にもほどがある〉と衝撃を受ける。だがその彼らすら、現代の読者にとっては〈不適切〉なのだ。

 それはとりもなおさず、2025年の今、これが普通・これが常識と思っていることが、四半世紀の後には大きく変わっている可能性があるということだ。このあたり、まったくジャンルは違えど、今年の5月にこのコラムで紹介した朱野帰子原作・多部未華子主演の「対岸の家事」と同じテーマを孕んでいる。

 で、ドラマはどうかというと──うーん、煙草もテレビの話も出てこないし差別用語も最低限に抑えた感がある。煙草くらいなら時代色を出すために積極的に使うドラマもあるが、さすがに差別用語はそうはいかないんだろうな。いまや時代劇ですら身体障害の古い表現を使わないくらいだし。そのかわり、阿久津や何人かの子どもたちの様子が具体的に描かれ、今の私たちの知識で彼らがどういう個性なのか自然とわかるようになっているのだ。四半世紀経った今の視聴者を信じているがゆえの演出といっていい。

■黒髪の吉岡秀隆さん、もしかしたら……?

 そういった改変の一方で、ドラマオリジナルで加えられたエピソードもある。平良の息子が引きこもりという設定だ。引きこもりが爆発的に増え社会問題として広く認知されたのは2000年代で、90年代はまだ不登校とセットで語られることが多かった時代である。

 ドラマでの引きこもりの原因はいじめだが、そんな息子に対する平良の態度が第4話で描かれた。これがやりたいがための改変だったのだと腑に落ちた。いじめを受けている息子に対しての平良の対応が絵に描いたように〈不適切〉だったのだ。当時はいじめや引きこもりに関して今のような情報や指導はなく、おそらく多くの親がドラマの平良と同じように行動したのではないか。

 そう考えれば、過去を見て〈不適切〉と感じられること自体、世の中は良い方に進んでいるという証左ともいえる。そうであってほしいし、〈不適切〉が是正されることで救われる人が増えてほしい。ちなみにこの物語の根幹を成す問題についての裁判が結審したのは、つい昨年のことだ。小説を読んだら、あるいはドラマを最後まで見たら、ぜひ調べてみていただきたい。本書の刊行とドラマ化は実に時宜を得たものだったのだ。

 ところで、ドラマが始まってすぐに「わ、90年代だ!」と思った場面があった。平良刑事を演じる吉岡秀隆さんが黒髪! かつては「北の国から」の純、その後はDr.コトーのイメージが強かった吉岡さんだが、近年では持ち前の豊かな白髪でさまざまな役柄をこなしている。その吉岡さんが髪を黒く染めているのだ。(染めてるんだよね? 白髪になる前に撮影したとかだったらこの先に書くことは大ハズレなんだけど)

 40代の刑事であれば、最初からそれくらいの見た目・年齢の役者さんを使えばいいののに、なぜわざわざ白髪を染めてまで55歳の吉岡さんに実年齢より若い役をやらせるのか? それで思いついたのが、今年の春に刊行された芦沢央『嘘と隣人』(文藝春秋)だ。

『嘘と隣人』は「現代の平良正太郎」が主人公なのである。1998年に40代だった平良は、『嘘と隣人』ではすでに定年を迎えて退官している。退官後の元刑事である平良が、近所で起きた刑事事件にかかわる連作短編集なのだ。これがまた、トリッキーな捻りとゾクリとする真相で実に読み応えがあり、実に巧いのである。直木賞の候補にもなった。

 もしかしたら黒髪の吉岡さんをキャスティングしたのは、『嘘と隣人』のドラマ化を視野に入れ、白髪で「今の平良」を演じるためでは? とワクワクしているのだが、さてどうかな?

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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