大矢博子の推し活読書クラブ
2025/11/05

水上恒司主演、山下美月・宮舘涼太出演「火喰鳥を、喰う」ミステリとホラーが見事に融合 舘様演じる超常現象研究家の「胡散臭さ」が物語を動かす?! 原作を読むことでさらに腑に落ちるぞ

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は現実と非現実の境目が揺らぐこの映画だ!

■水上恒司・主演、山下美月、宮舘涼太・出演!「火喰鳥を、喰う」(GAGA/KADOKAWA・2025)


 原作は原浩の同名小説『火喰鳥を、喰う』(角川ホラー文庫)。2020年に刊行された第40回横溝正史ミステリ&ホラー大賞の受賞作である。ミステリ&ホラーと銘打たれているようにこのふたつのジャンルを対象とした賞なので、恐怖要素のない本格ミステリでも、謎解き要素のないホラーでもOKなのだが、これまでの受賞作を見ると、ホラー寄りの作品の方が多く見られる。

 そんな中、本書はまさに「ミステリ&ホラー」の両方に跨った小説だった。長野県のとある村に暮らす久喜家の墓石から70年以上前に戦死した久喜貞市の名前が削り取られるという不穏な出来事で物語は幕を開ける。おりしもその日は、ニューギニアで発見された貞市の日記が新聞社を通して久喜家に届けられる日だった。

 物語の主人公は貞市から見て大甥にあたる久喜雄司。妻の夕里子、母の伸子、祖父であり貞市の弟である保の4人暮らしだ。その日は夕里子の弟の亮も駆けつけ、皆で貞市の日記を読んだ。ニューギニアでの厳しい潜伏生活、飢えと病で次々と死んでいく仲間。食べるものもなく、たまたま火喰鳥を見かけた貞市は、火喰鳥を食べたいと何度も書き残していた。

 するとおかしなことが起きる。同席していたカメラマンの玄田が突然「久喜貞市は生きている」と呟き、亮が日記の続きに「ヒクイドリヲ クウ ビミナリ」と書き加えたのだ。ふたりとも自分がなぜそんなことを言ったのか、書いたのか、わかっていない様子。そしてその日から久喜家の周辺で奇妙な出来事が続くようになった。

 夕里子が頼った超常現象研究家の北斗総一郎は、日記を見るなり「これは“籠り”だ」と断言。貞市の生きたいという執念が、日記が戻ったことで現実に干渉するようになったという。貞市が生きている世界線には雄司たちは存在しない。このままでは今の久喜家は貞市により現実から弾き出されてしまう……。少しずつ変わっていく「現実」と、必死に抵抗する雄司たち。二つの世界のどちらが残るのか?


イラスト・タテノカズヒロ

■映画と原作、ここが違う

 映画は極めて原作に忠実に進む。ただ、尺の関係か、エピソードがいくつかカットされていた。たとえば入院中の玄田が病院を抜け出し久喜宅を訪れる場面と、そこで判明するある事実。墓石の異常について石材店に話を聞きに行く場面。貞市を鎮めるために手帳に全員で書き込んだ言葉がいつの間にか消えていて、別の言葉が出現していた場面。ニューギニアの生き残りである伊藤氏の子孫を訪ねた場面などなど。

 これらはいずれも「現実が書き換えられていっている」ことを示す出来事だ。もちろん大きなできごとは映画にも反映されていたが、原作を読むと「他にもこんなに奇妙なことがあったのか」と驚くに違いない。これらが積み重なることで不穏さがじわじわと増していくのだ。

 また、原作は1章で1日進むという構成で、どの章も最後はその夜に誰かが見た悪夢で終わる。これらの悪夢も映画で再現されていたが、悪夢パートを順に読むとそれが何を表しているのかが次第に浮かび上がるし、そこには小説ならではの仕掛けもあるので、これも原作で確認してほしい部分だ。特に、貞市が食べたかった、あるいは食べたという「火喰鳥」が何のメタファーなのか……これは映画では明確には語られていないが、原作にはヒントとなる会話がある。

 本書は「ミステリ&ホラー」の両方に跨った小説だと先に書いたが、原作を読むとそれがはっきりわかる。超常現象が軸にあるのは間違いないが、それを誰が起こしているのかという謎があり、その正体については周到にヒントが出されているのだ。北斗が行おうとした解呪の儀式の場面は、実は原作と映画ではその経過も内容も大きく異なっている。そして原作のその場面で夕里子は「本当に根源は日記なのかしら?」「誰かの意思が、思念が、別の方向から足を引っ張っているように思えた」と言う。ここ大事ですよ。

 ホラーというのは正体がわからないから怖いのである。翻ってミステリは正体を明らかにするジャンルだ。明らかになった時点で怖さはなくなるはずで、構造からいえばミステリとホラーは両立しにくいといえる。だが本書は土俗的ホラーの展開を前面に出しながら「誰が」「なぜ」というミステリ的な謎解きで読者を引っ張るという工夫された構成になっている(おまけに叙述的な仕掛けもある)。そしてその真相が判明したとき、それまでの絵ががらりと変わるミステリの醍醐味と、現実が食われてしまうホラーの恐怖が、見事に融合し両立するのだ。

 そういう意味では怒涛の展開の映画のあとで原作を読むと、「あそこはこういうことだったのか」と細かい部分が腑に落ちるのではないだろうか。ぜひ原作で確認していただきたい。

 

■胡散臭い舘様が物語を動かす

 一方、映像ならではの演出や改変も多々あった。原作の夕里子より映画の方が人間味があったし、雄司の職場が描かれているのも新鮮だった。水上恒司さん演じる雄司と山下美月さん演じる夕里子は見た目も完璧な美男美女カップルで、弁当とか送り迎えとか家庭内での様子とかをたくさん見せることで「いい夫婦」「いい家族」であることを観客に印象づけている。そこに割って入るのが舘様こと宮舘涼太演じる超常現象研究家・北斗総一郎なのだ。
 
 この舘様が胡散臭い! そりゃもう胡散臭い! 以前から知り合いだった夕里子への馴れ馴れしさに超常現象研究家という得体の知れない肩書きも加わって、これが実に胡散臭い。原作でもたっぷり胡散臭かったけど、映像にして舘様が演じた北斗は予想以上に胡散臭かった。眉毛の動かし方すら胡散臭い。

 胡散臭さの極め付けは解呪の儀式のときのチベット僧みたいな扮装で、いやあの場面、原作では普通の格好で最新モデルのタブレットとか使ってるからね? むしろハイテクぶりに戸惑う雄司を「十字架とか聖水でも使うと思ったんですか?」と嘲笑うからね?

 あの扮装はもしかして笑うところなのかとも思ったが(パンフレットのインタビューによると実際に山下さんはしっかり笑っていたらしい。さては山下さん、正直だな?)、実はこの胡散臭さこそが物語を動かす伏線なのだ。終盤の展開なので具体的には書けないが、あの胡散臭さはこのためか!と納得するはずである。それを前提とした舘様の役作りに注目願いたい。

 もうひとつ、原作にはないエピソードが映画には加えられていた。ラストシーンがそれだ。原作の続きと言ってもいい。あの後、彼らはどうなったのか……その答えを見せてくれたのは嬉しかったし、少しだけ救われた気がしたものだ。「少しだけ」なのは映画を観た人にはわかっていただけると思う。

 本作はホラーではあるが、幽霊とかゾンビとかが出てくる類のものではなく、日常がじわじわ浸食されるタイプの物語である。したがって、ジャンプスケア(突然の音や映像で観客を驚かす演出)は殆どない。怖がりさんでも大丈夫なので、ぜひとも原作と映画をともに味わってほしい。原作はホラーであり、ミステリであるとともに、戦争ものであり、恋愛小説でもあり、家族小説でもある。読めば読むほど新たな魅力を発見できるはずだ。

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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