大矢博子の推し活読書クラブ
2025/11/26

坂口健太郎主演、渡辺謙・佐々木蔵之介出演「盤上の向日葵」ヒューマンドラマの要素が増し原作の構成を大きく変えた映画版 改変にも納得の理由 ミステリ好きなら原作先がオススメ

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は原作を大胆に再構成したこの映画だ!

■坂口健太郎・主演、渡辺謙、佐々木蔵之介・出演!「盤上の向日葵」(ソニー・ピクチャーズ エンターテインメント/松竹・2025)

 原作は柚月裕子の同名小説『盤上の向日葵』(中公文庫)。映画では構成に大きな改変があったため、まずは原作のあらすじから紹介しよう。

 小説は将棋のタイトル戦が行われている山形県天童市で幕をあける。七冠に挑む壬生芳樹と奨励会を経ずに特例でプロとなった上条桂介の大一番だ。そこにふたりの刑事──石破と佐野が近づいていく。

 物語はここからふたつの筋が並行して語られる。ひとつは平成6年、埼玉県の山中で将棋の駒を抱いた白骨死体が見つかった事件を捜査する刑事の物語だ。その駒は昔の名匠の手によるもので、石破と佐野は現存する駒の持ち主を追う。もうひとつは昭和40年代に始まる話だ。長野県諏訪で父親に虐待されていた少年・桂介は、優しい唐沢夫妻と出会い、将棋を教えてもらう。桂介の才能に驚いた唐沢は奨励会に入るための援助を申し出るが、父親は断固として拒否。桂介も父親を見捨てられず……。

 複数現存する名匠の駒をひとつずつ確認するため日本中を飛び回る刑事の捜査は、まさに往年の警察小説。いい加減な性格だが捜査能力はずば抜けている強面刑事・石破と、元奨励会会員で将棋に詳しい真面目な若手・佐野がバディを組んで、可能性をひとつずつ地道に潰していく過程は実に読み応えがある。

 翻って少年の物語は切なくも凄絶だ。虐待の中で見出した将棋という一筋の光と、自分を助けてくれる優しい夫妻。その一方で、殴られても詰られても父親への愛情は捨てられない。身を裂かれるような思いをしながら将棋を諦めた少年は持ち前の賢さと奨学金で東大に入学する。そこで彼が出会ったのは、伝説の真剣師(アマチュアの賭け将棋師)と呼ばれる東明重慶だった──。

 白骨死体と虐待されている少年。このふたつの筋がどこでどう交わるのかが原作の大きな読みどころだ。最初はまったく別の話のように進むのだが、白骨死体が抱いていた駒が少年の話の方に出てきたときは「ここでつながるのか!」というカタルシスがあるし、刑事たちが追う白骨死体については読者の予想を裏切る大きなサプライズも待っている。


イラスト・タテノカズヒロ

■ミステリを期待するなら原作を先に読むのがオススメ

 映画はその原作のストーリーに則ってはいるものの、構成を大きく変えてきた。将棋の駒を追う刑事たちの様子をかなりカットして、序盤で駒の持ち主も白骨死体の身元も判明するのだ。いずれも小説では後半になってからの展開であり、読者がカタルシスやサプライズを覚える大きな山場だ。それをとっとと明かしちゃったよこの映画!

 映画は在野の棋士・上条桂介が新人王戦で優勝する場面から始まる。そのあと白骨死体が発見され、刑事の石破(佐々木蔵之介)と佐野(高杉真宙)が駒の出元を探して日本各地を移動する。そして駒についておおよその見当がついた時点で、桂介(坂口健太郎)の物語へシフトする。大学時代に真剣師・東明重慶(渡辺謙)と出会ったことで運命が回りだす桂介。この桂介の物語も、原作が少年時代から時系列で描かれたのに対し、映画では現在から始まり、過去へ遡っていくという逆回しだ。

 つまり、過去にあった出来事がどう「今」につながるのかを描いたのが原作であり、先に「今」を見せてここに至るまで何があったのかを見せるのが映画と考えればいい。なので、もしもあなたがヒューマンドラマを期待しているなら映画と原作のどちらが先でもいいのだが、ミステリとしてのサプライズやテクニックを味わいたいなら原作を先に読んだ方がいい。

 構成以外の大きな改変はふたつ。ひとつは土屋太鳳さん演じる桂介の元婚約者の存在だ。原作にはそのような女性は出てこない。というか唐沢夫人以外の女性が出てこない。そもそも映画では農園に就職した桂介に対し、原作ではIT企業を立ち上げている。なので農園でのくだりは完全に映画オリジナル。だがそこで何が起きたのかは原作通りだ。

 もうひとつの改変はラストだ。「あ、結末変えちゃうんだ」と驚いた。原作のラストはなんというか、明かすわけにはいかないので言葉に困るのだが、破滅とも解放ともとれるとても柚月裕子らしい終わらせ方なのである。それを映画では別の行動を桂介にとらせている。だがともすれば正反対に見えるような結末であるにもかかわらず、さほどの違和感がなかったことに驚いた。それは行動は違っていても作者がそこに込めた意味が映画に受け継がれている証左ではないだろうか。

■推し読みのポイントは主役ではなく、この人!

 構成を大きく変えたことによって、映画では原作にはない(こともないが薄い)、物語のある側面が大きく浮かび上がった。この映画は、桂介と三人の父親の物語なのだ。息子を虐待し、息子が成功してからは金をたかるようになった上条庸一(音尾琢磨)、桂介を救い、たっぷりの愛情を与えた唐沢光一朗(小日向文世)、そして賭け将棋のカリスマとして桂介を翻弄しつつも導く東明重慶。

 原作の上条庸一はとにかく最低最悪の父親なのだが、映画では「過去には桂介を可愛がっていたこともあった」とわかる場面が挿入された(音尾さんと子役の小野桜介さんの表情がとてもいい!)。また映画では、桂介は唐沢のことをはっきり「自分の父」と呼んでいる。原作にはなかったセリフだ。そして東明は桂介の命の核のようなものを見抜き、彼に進む道を示した。

 三人の父を通して桂介という人間が出来上がっていく様子が描かれ、それがラストへとつながっていくのだ。東明に渡辺謙を配した時点で原作より彼の重みが増すんだろうなとは思っていたが、ここまでとは。映画は原作よりかなりウェットな作りになっているが、それも父と子の物語にフォーカスしたんだと思えば納得がいく。そして三人の父のもとで次第に変わっていく桂介──坂口健太郎さんの「変化」がめちゃくちゃ良かった。

 時系列が行き来する映画に対して原作は時代順に進むので、映画を見た人もあらためて原作を読んでほしい。個人的に推し読みを推奨したいのは、佐々木蔵之介さん演じた石破刑事だ。この石破刑事、将棋のことはまったく知らなくて元奨励会員の佐野にもトンチンカンなことを言うんだが、いや、佐々木蔵之介って「3月のライオン」の島田開じゃん! 将棋の町・天童市を擁する山形の出身棋士じゃん! 将棋めっちゃ詳しいじゃん。しかも原作はその石破が天童市を訪れるんだから、脳内が半分「3月のライオン」になったよ。

 もうひとつ推し読みで推薦したいのは、東明ではなく石破を渡辺謙で読むという方法だ。
殺人事件を追って日本中を飛び回る刑事と、ある分野でのしあがる青年の凄絶な半生という構図は、松本清張『砂の器』を彷彿させる。実際、原作者の柚木さんの中には『砂の器』(と、こちらも大好きという『麻雀放浪記』)があったという。映画では構成を変えたことで『砂の器』感がなくなったが、ドラマ「砂の器」(2004、TBS)で刑事役だった渡辺謙さんで石破を脳内再生すれば、『砂の器』感が爆上がりするぞ。

 他の役の人を思い浮かべながら読書するのは難しい? いやいや、そんなことはない。今回、死に際に乾坤一擲の将棋を指す東北の真剣師・兼埼を演じた柄本明さんは、この『盤上の向日葵』がNHKでドラマ化されたときには愛情深い唐沢光一朗役だったのだ。それを完全に忘れさせる圧巻の芝居だった。役者さんの振り幅はすごいのだ。ぜひ、石破刑事を佐々木蔵之介(3月のライオン)バージョンと、渡辺謙(砂の器)バージョンで読んでみてほしい。いろんな読みが楽しめるのが推し読みなのだ!

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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