大矢博子の推し活読書クラブ
2025/12/24

堺雅人・井川遥主演「平場の月」 原作には出てこない“ふたり”に泣かされた 映像ならではの改変で「こうだったらいいのに」を掬い上げてくれた映画版 主人公の心情が描かれた原作にも注目

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は「原作に出てこないふたり」にヤラれてしまったこの映画だ!

■堺雅人、井川遥・主演!「平場の月」(東宝・2025)


 認知症を患った母を施設に預け、今は一人暮らしの青砥健将(堺雅人)。彼は検査に訪れた病院の売店で、中学時代の同級生・須藤葉子(井川遥)が働いているところに出くわす。青砥にとって須藤は初恋の相手だった。バツイチの青砥と、夫と死別した須藤は、35年の時を経て再び交流を持つようになる……。

 原作は朝倉かすみの同名小説『平場の月』(光文社文庫)。中学時代の初恋の相手と50歳になって再会し恋愛が始まるというと、ロマンスというよりもはやファンタジーのようにも思えるが、原作は(そして映画も)、それをファンタジーにしない足元の強さがいい。

 夫とは略奪婚だったことや夫の死後に若い男に貢いで破産同然になったことなどを語る須藤。離婚のショックからアルコール依存症になり、そこを抜け出してからは認知症の母を毎週施設に見舞いながら、印刷工場で働く青砥。そんな互いの過去を責めるでもなく励ますでもなく、これだけ生きてくればそりゃいろいろあるよね、と、どうでもいい話に花を咲かせる。話題の多くは共通の友達の話か病気の話で、「生検の結果出た? どうだった?」って、いやほんと、50代の会話ってこうだよなと笑ってしまった。

 とは言うものの。私がこの本を初めて読んだときに思ったのは(切ない展開に涙したのは大前提として)、「これは史上最強の『後悔先に立たず』小説だ」だったのだ。いや、話の展開をバラすわけにはいかないんだけども、「いや、青砥、なに呑気に構えてんの? そうじゃないだろ、状況わかってんのかよ、とりあえずみっちゃんと定期的に連絡とれよ!」とジリジリしていたのよ。あ、みっちゃんが誰かは原作を読むなり映画を観るなりしてください。

 だがこの焦りが映画にはなかった。なぜか。それがこの映画の改変の上手さだ。

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イラスト・タテノカズヒロ

■これは上手い!と感じた映像ならではの四つの改変

 
 これはいい改変!と思った箇所が四つあった。ひとつは話の構成を入れ替えたこと。実は原作では、先に話の結末が明かされるのである。そこから時間が巻き戻って、青砥が須藤と再会するシーンが描かれる。しかも原作は青砥の一人称で進むので、青砥の不安や焦りがダイレクトに伝わってくる。読者は最終的にどうなるか知っているから青砥の見当違いな不安や焦りにイライラしてしまうのだが、映画では先がわからないからすんなり青砥に感情移入できるという次第。その分、ショックも大きいんだけども。

 何より映画では、青砥の不安や焦りの場面を気持ちいいくらいばっさりカットしていたのに驚いた。原作の青砥はストーカーまがいの行動をしたりうじうじと悩んだりとまあ、たいへんなのだ。気になる人は原作でチェックするといいよ。「あの夜」に青砥がトイレで何を考えたかも詳しく綴られるよ。なるほど、青砥の一人称視点の心情描写がないと、一歩引いて俯瞰して見られるのだなあ。

 ふたつめの「いい改変」は、中学時代の青砥と須藤のエピソードが多く加えられていたこと。原作にも中学時代の話は出てくるし、そのくだりはすべて再現されていたが、そこに原作にはない若きふたりのエピソードが多く加えられていたのだ。あの頃からずいぶん遠くにきてしまったけれど、それでも続いているものも確かにあるのだと心が温かくなった。

 みっつめは、薬師丸ひろ子「メイン・テーマ」の使い方! ふたりが再会して最初に行った焼き鳥屋の有線で流れ、「これ何だっけ」とすぐに思い出せず(これもリアルだ)、焼き鳥屋の大将から「薬師丸ひろ子」と教えられて「それだ!」となる。そこから一緒に歌い出す。この「メイン・テーマ」はこのあとも映画の各所で青砥が口ずさむのだが、最後はもう……(号泣)。

 この「メイン・テーマ」は原作には登場しない。代わりに原作の焼き鳥屋では、テレビで「時をかける少女」が放送されている。単行本刊行年と作中時間を考えると、これは2016年に日本テレビで放送されたドラマ(黒島結菜、菊池風磨、竹内涼真出演)だろう。時を超えて何度も映像化された「時をかける少女」をここに持ってくることで、登場人物と読者両方にとって自分の『時をかける少女』を想起させ、時の流れを感じさせる設定だ。あなたの「時かけ」はどこから? 私は原田知世から。

 だが映画ではそこに「メイン・テーマ」を持ってきた。1984年に公開された映画のテーマソングである。いい曲だけど、なんでこれ?と思いながら聴いているうちに気がついた。

〈笑っちゃう 涙の止め方も知らない 20年も生きてきたのにね〉

 ……これだ! これは50年も生きてきたのに涙の止め方を知らない青砥の歌であり、映画にも原作にも登場しなかったがきっと見えないところで泣いていたはずの須藤の歌なのだ。そしてそれはそのまま、観ている側の私たち──○○年も(あなたの年齢を入れてください)生きてきたのに泣いたり足掻いたりしている私たちを優しく包んでくれる歌でもあるのである。まさか出演もしてない薬師丸ひろ子に泣かされるとは思わなかったさ!

 

■映画は登場人物と観客に「救い」を与えてくれた

 そして四つめの「いい改変」は……いやこれ本当に良かったんだけども、原作には登場しない焼き鳥屋の大将である。塩見三省さん! もう存在感が素晴らしい。声もあまり出さないしカウンターの中で座ったまま動かない。たぶん体もあまりきかない隠居状態なんだけど、仕事は若いのに任せていつもカウンターの中から客を見ているという立ち位置の大将である。塩見さんご自身が大病をされてからの役者復活というのは存じ上げていたが、え、まだお体が本調子じゃないの?と心配してしまうくらいの見事な佇まいだった。個人的に塩見さんに今年の助演男優賞を差し上げたい。

 原作には出てこない大将が、なぜ映画で加えられたのか。これは、ふたりを最初から最後までそばで見守っている存在がいる、ということなのではないか。大将は何を言うでもない。ただ、青砥がひとりでいると心配そうにする。久しぶりにふたり揃ってくるとサービスしてくれる。なんだか途中から塩見さんが神様に見えてきた。これは青砥と須藤の物語だけれど、ふたりを見守っている人がいたんだというのは青砥にとっても観る側にとっても大きな救いだ。そんな救いを、映画は青砥と原作読者に与えたのだ。

 この映画は原作をリスペクトしているとともに、登場人物にも観客にも、より多くの救いを与えようとする改変が加えられていたと思う。たとえば、ストーマの描き方だ。ある人物が大腸がんになり、ストーマ(人工肛門)をつけるくだりがある。医者や看護師の説明場面(本物のお医者さんと看護師さんだそうだ)に始まり、装着のシーン、周囲の人は気にしないというか気づかないレベルなのに本人は匂いや音が気になって仕方ないという場面まで、非常に細やかに映像化されていた。原作にも出てくるが、ストーマを「闘病映画」としてではなく「日常の中にあるもの」として描いた姿勢にも、感動したものだ。

 救いといえば、原作では須藤の話にしか出てこない年下の元カレが映画に意外な形で出てきたのもよかった。そうそう、最後に青砥が泣くのも原作にはない。原作は青砥が視点人物なので泣かせにくいというのもあるだろうが、読んでいる側としては「泣かせてやりたい」と思ったので、この改変もよかったなあ。映画は原作の「こうだったらいいのに」を掬い上げてくれたのだ。

 なお、原作だけの楽しみもある。原作には映画の続きがあるのだ。映画では伏線だけ張られて回収されてないが、このあと青砥はあるものを「発見」するのである。そこはぜひ原作でご確認いただきたい。そして、もう上映が終わっているところが多いだろうが、配信されるようになったらぜひ映画もご覧いただきたい。あなたも一緒に、「メイン・テーマ」が脳内をエンドレスで流れる呪いにかかるがいいよ!

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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