大矢博子の推し活読書クラブ
2026/09/09

映像の力にえぐられた… 西島秀俊、満島ひかり、宮藤官九郎出演「時には懺悔を」付け加えられた設定・シーンでよりテーマが明確に 30年前の小説がSNS時代に警鐘【原作・映画比較】

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回はとにかく考えさせられたこの映画だ!

■西島秀俊・主演、満島ひかり、宮藤官九郎・出演!「時には懺悔を」(2026・ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント)

 映画を見終わったあと、続けてもう1本ハシゴする予定だったのだが、取りやめて帰宅した。とにかくじっくり考えたかったのだ。映画を見ている間に感じたことを。思ったことを。原作を読んだときにも同じような気持ちになったが、映像の力は予想以上にこちらの心を抉ってきた。

 原作は打海文三の同名小説『時には懺悔を』(角川文庫)。著者がシリーズとして書いていた探偵ものの一冊だ。単行本の刊行は1994年だから、もう30年以上前の作品になる。映画も原作に沿って1994年を舞台にしていた。

 その商売のやり方からクズと言われていた探偵・米本(佐藤二朗)が殺された。元同僚で今は個人で探偵をやっている佐竹(西島秀俊)は、古巣の探偵スクールから助手として押し付けられた聡子(満島ひかり)と共に、犯人探しを始める。米本が手掛けていた事件に手がかりがあると考えた佐竹は、米本がある子どもについて調べていたことを突き止めた。

 その少年・明野新(しんすけ)は9歳で、重度の障害があった。そのため父親の哲夫(宮藤官九郎)は働きに出ることもできず、亡き妻の保険金を崩しながら一日中息子の介護をしている。いったいこの親子の何を米本は調べていたのか。佐竹と聡子は親子を調べるうちに、9年前の新生児誘拐事件に辿り着き……。

 というのが、原作・映画の両方に共通する筋立てである。登場人物の設定やエピソードを再構成したり、原作にエピソードを加えたりはしていたが、基本的に物語は原作に忠実だった。ただ、設定上見逃せない改変がふたつあった。


イラスト・タテノカズヒロ

■映画の見事な改変に注目!

 まず驚いたのが佐竹の設定だ。映画では佐竹自身に障害を持つ息子・正樹(山下舜太)がいた、という設定になっていたのである。その介護のため妻の由紀(柴咲コウ)は疲れ果て、佐竹は逃げ、長女の観月(山崎七海)は「いいお姉ちゃん」を強要される。そして息子の死後、妻は心を病んで精神科に入院、娘はグレて、父親とは会話もない。

 原作の佐竹には、健康な高校生の息子がひとりいるだけだ(折り合いは良くないが)。その代わり、仕事仲間の息子に障害があり、その妻からいろいろ話を聞くという流れになっている。その妻の名前が由紀。つまり、原作の友人夫婦の状況を映画では佐竹自身のものにしたのである。

 これには唸った。原作の佐竹はシリーズものということもあって、傍観者として存在する。だが映画では、甲斐甲斐しく息子の世話をする明野は佐竹にとって「なれなかった自分」なのだ。立ち位置が傍観者から当事者に変わった。したがって原作の佐竹と映画の佐竹では、新のようなスペシャルニーズ(障害や病気で特別な配慮や支援を必要とする状態・人)の子どもを見たときの感情がまったく違う。それはそのまま観客の心にも伝播する。

 原作でこれをやれば過剰になってしまう。ともすれば佐竹の物語になってしまう。そこを映画では上手く複数の家族の問題を並行させることで観客は無意識に彼らを比べ、自分を当てはめ、自分は誰に最も近いか、自分ならこの行動をとれるか、自分に彼らを責められるか、考えてしまうのだ。これは上手い。私も要介護の家族がいるが、身に覚えがあってドキドキした場面が何度もあった。

 もうひとつの大きな改変は、明野の妻・昌美(烏森まど)がつけていた育児日記の存在だ。これは原作には出てこなかった。映画では聡子がこの育児日記をある女性に見せることで終盤に大きな転換点が来る。原作ではただひたすら説得したというだけにとどまっていた部分で、読みながら「こんなたいへんな決意をどうやって説得したんだ?」と思っていた箇所だったので、この改変には膝を打った。しかも泣かせるんだこの日記が。

 泣かせるといえば志村けんである。これも原作にはないエピソードだが、舞台が1994年ということで、テレビで志村けんの「だいじょぶだあ」のギャグが流れるのだ。あら懐かしい、と思っていたら、しばらくするとクドカン演じる明野哲夫が、苦しむ息子を抱いて「だいじょぶだあ」と繰り返すのである。志村けんと同じような言い方で。待って、まさかクドカンと志村に泣かされるとは思ってなかったよ! こっちの情緒はぜんぜんだいじょぶじゃないよ!

■原作のテーマを完璧に掬い上げた映画化

 障害や介護の問題が前面に出てはいるが、本書のテーマは人間の多面性だ。善と悪、正と負、愛する気持ちと疎む気持ち、向き合う気持ちと逃げる気持ちは、すべての人の心の中にある。その時々で秤がどちらに傾くかの違いでしかない。佐竹と妻の関係も、聡子と娘の関係も、哲夫と新の関係も、そして黒木華さんや毎熊克哉さんが演じる人々(具体的に書くとネタバレなので書けない)も、その両方を持っているのだ。

 その象徴が佐藤二朗さん演じる米本である。いやあ、佐藤さん素晴らしい。原作にもある彼の一言、「可愛いじゃないですか」──これが米本の口から出ることの重さよ。米本の死の経緯がわかる場面は原作にはない映画オリジナルだったが、あの場面があることで、人の持つ多面性がさらに明確になった。原作の意図をしっかり汲んでいるからこそ加えられた場面だと思う。この映画は確かに原作を改変したり原作にないエピソードを加えたりしているが、それが原作のテーマを深めているのである。すごい。

 SNSの普及により、短い発言で善悪や敵味方を決めつける風潮が増してきたように思える。そんな時代に、30年前に書かれたこの小説が警鐘を鳴らすのだ。人間て、そんな簡単に色分けできるものじゃないよ、もっと複雑なんだよ、と。そして、もっと信じてもいいんじゃないかな、と。

 ところで原作ファンとして、本書の映画化を知ったときに気になったのは「ウネ子、出るかな?」だった。佐竹が登場する小説は本書の他に『兇眼』『されど修羅ゆく君は』『愛と悔恨のカーニバル』(いずれも徳間文庫)『探偵という快楽』(角川文庫)があるが、これらにウネ子というナイスキャラの女性探偵がいるのだ。

 ウネ子は60代で、元結婚詐欺師。パワフルで奔放で、刑事を振り回しまくる。いやもう、実にステキな女性なのである。映像化されるなら余貴美子さんがいいな、と勝手に思っていたのだが、残念ながら出なかった。映画では片岡鶴太郎さんが演じた舟尾が位置的にウネ子のパートを担っていたが、ぜひ原作でウネ子に触れてほしい。特に『されど修羅ゆく君は』がいいぞ!

 打海さんは2007年に亡くなられたが、その作風は独特で根強いファンを多く持った作家である。前述の作品群は探偵ものだが、「応化クロニクル」と呼ばれる『裸者と裸者』『愚者と愚者』『覇者と覇者』(角川文庫・『覇者と覇者』は作者急逝につき未完で刊行)は、近未来を舞台に内戦状態の日本を描いた作品。ディストピアの中、少年少女が時代に適応しつつも陰惨になることなく前向きに生き抜く姿が印象的だ。また、2000年代にここまで深くジェンダーを描いていたことも特筆に値する。若い世代にぜひ手に取ってほしい作品だ。これを機に、打海作品の復刊・再刊を熱烈希望!
 
大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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