大矢博子の推し活読書クラブ
2026/09/30

「思ってたんと違う」こそが横溝映画! 尾上松也版「八つ墓村」はここまで振り切った! ホラー化という予想外の改変 映画4本ドラマ7本、どれが原作に近い?【原作・映画比較】

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は予想外の改変にひっくり返ったこの映画だ!

■尾上松也・主演、奥智哉、堀田真由・出演!「八つ墓村」(2026・松竹、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント)

 昭和2X年、神戸で暮らす天涯孤独の寺田辰弥は、弁護士を介して自分が岡山県の八つ墓村というところにある旧家・田治見家の跡取りであることを知らされる。ところが彼を迎えに来た亡母の父が対面の場で毒殺され、さらに田治見家を訪れてからも不穏な事件が相次ぐ。それはまるで、八つ墓村で起きた戦国時代の落武者殺し、26年前の田治見家当主・田治見要蔵による大量殺人といった過去の因縁が、辰弥の来村とともに蘇ったようで……。

 と、今更説明する必要があるのかどうか、原作は言わずと知れた横溝正史『八つ墓村 金田一耕助ファイル1』(角川文庫)。1949年から50年にかけての雑誌連載のあと、1951年に単行本として刊行された。ミステリ愛好家の間では当時から評価が高かったが、広く一般に認知されたのは1970年代後半の横溝映画のヒットがきっかけだ。

 当時の金田一耕助ブームはすごかった。映画自体は戦後すぐから何本も撮られていたが(初期の金田一はおもに片岡千恵蔵が演じていた)、ブームに火をつけたのは石坂浩二が金田一を演じた1976年公開の「犬神家の一族」と翌77年の「悪魔の手毬唄」だ。そして同じ1977年、渥美清の金田一で「八つ墓村」が公開された。金田一といえば石坂浩二というこの時代に渥美清が抜擢されたのは、「八つ墓村」のみ松竹映画だったため、松竹の看板スターを使う必要があったことによる。

 この77年版「八つ墓村」はテレビCMの効果も相まって、映画を観ていない人にすら鮮烈な印象を残している。山崎努さんが演じた田治見要蔵が日本刀と猟銃を抱えて走り回る鬼気迫る演技は、当時中学生だった私には軽いトラウマになったほどだ。そして濃茶の尼が叫ぶ「たたりじゃあ~! 八つ墓村のたたりじゃあ~!」はその年の流行語となった。話の中身は知らなくても、「八つ墓村」といえば田治見要蔵の装束と「たたりじゃあ~」──というのが全国民に刷り込まれたのである。

 その上で、原作小説を読んだ当時の私が感じたことを一言で表すなら「思ってたんと違う」だ。これは面白くなかったという意味ではないので念の為。さぞやおどろおどろしいクライマックスなのだと思っていた田治見要蔵の大量殺人は序章で前日譚として説明されるだけだったのと、原作には一度も「たたりじゃ~」というセリフが出てこなかったのである。これぞ『八つ墓村』の象徴と思っていたのに、それが実は映画オリジナルだったと知ったときの衝撃よ。まあ、他にもいろいろ違ってたんだけども。


イラスト・タテノカズヒロ

 

■今や横溝映画は「どれだけ新規軸を出せるか」の戦いに

 だがこの「思ってたんと違う」ことこそが、横溝映画と原作比較の楽しみなのだ。『八つ墓村』はこれまで映画4本、ドラマ7本が作られている。これだけ映像化が多くなると、制作側も過去作とどう差別化するかを考えざるを得ないだろう。さらに、このような古い原作をなぜ「今」映像化するのか、その時代なりのテーマや思惑が込められるのは当然だ。

 たとえば海外ではアガサ・クリスティのミステリは何度も映像化されているが、近年になればなるほど原作から離れていく傾向にある。ケネス・ブラナーの映画や最近のBBCドラマなど、どれだけ原作を変えられるか勝負でもしてるのかってくらい原作と違う。横溝映画もそれと同じだ(ちなみに小説『八つ墓村』のベースのひとつにクリスティの某作品がある)。

 というわけで、こと横溝映画に関しては「どこを変えてきたか」に注目して観るのが面白い。金田一の造形ひとつとっても、短髪で洋装だったりフケの描写があったりなかったり。他の登場人物も大きく改変されていることが多く、同じ人物が殺されたり殺されなかったり、出たり出なかったり。原作の重要人物である典子は登場しない作品の方が多い。鍾乳洞の冒険があったりなかったり、埋蔵金のエピソードがあったりなかったり、事件そのものもあったりなかったり。

 辰弥の造形も違う。舞台が現代(制作当時)の渥美版では空港職員、尾上版では就活中の大学生。片岡鶴太郎版では金田一が住むアパートの管理人だ。原作は辰弥メインのため金田一の出番は少ないが、映像作品で金田一の出番が増えると相対的に辰弥の影が薄くなる傾向にある。あ、そうだ、辰弥といえば個人的推し仲間に伝えておきたいのが、豊川悦司版(1996年、東宝)と片岡鶴太郎版(1995年、フジテレビ)だ。豊川版の辰弥は高橋和也、鶴太郎版の辰弥はオカケンこと岡本健一。わかるね?

 他にも動機が違っていたり、殺害方法が違っていたりなどいろいろあるが、これまでの中で原作に近いものとして、稲垣吾郎版(2004年、フジテレビ)と吉岡秀隆版(2019年、NHK)を挙げておこう。特に稲垣版では暴徒と化した村人たちが頭に懐中電灯をくくりつけて、まるで田治見要蔵の集団のようになるのが実に怖かった(今回の尾上版のお面も同様の効果があった)。稲垣版、配信してくれないかなあ。

■尾上版映画と原作はここが違う……というか全部違う

 とうわけで、ようやく今回の尾上版映画の話になるわけだが、原作とここが違う、どころではない。舞台設定と主要人物の名前くらいしか原作通りのところが見当たらない。新機軸とはいえ、よくぞここまで振り切ったな! 思ってたんと何もかも違うやないか。

 前述の通り舞台が現代。辰弥はスマホ使うし(さすがに金田一がスマホを使う場面はなかった。田治見家にはWi-Fiがないのかもしれない)、イマドキのおとなしい青年だ。彼のところに警察が来て、生き別れていた母が死んだことが告げられ(母がそれまで生きてたバージョンは初めてかも)、遺体確認のために実家の八つ墓村に向かうという流れである。

 これまでの映像作品ではカットされがちだった典子が登場した時点で「もしかしてこれはかなり原作に近いのでは?」と思ったが、気のせいだった。典子の代わりに春代がいなかった。そこからどんどん原作から離れ、原作では最後まで死なない人が相次いで死んだり、原作にはない見立て殺人があったりと、もう話の展開はすっかり別物である。だがもちろん、それが悪いわけではない。映画オリジナルの見立てはミステリとしてもなかなか面白かったし、何より、原作既読でも先が読めない!

 最も原作と異なるのは、オカルト展開だったこと。もちろん原作にもオカルト風味はあるのだが、それもちゃんと現実的に解決されるのである。だが今回の映画は完全にジャパニーズホラーだった。したがって金田一が探偵として真相を推理するという展開にはならないのである(これがいちばん驚いたかも)。何しに来たんだ金田一。

 この映画を見てから原作を読むと、これでもかってくらい「思ってたんと違う」が味わえて楽しいぞ。原作のラストはけっこう爽やかなんだぜ信じられないだろ? 映画にあった、村人が暴徒化していく様子はまさに現代の「切り取られた噂に踊らされる集団心理」の象徴のように見えるが、実はこれも75年前の原作に描かれているのだ。原作を読んで、これまでの映像作品ひとつひとつと見比べ、何が一緒で何が違うか比べてみるのも面白い。

 そうそう、映画には過去の映像作品へのオマージュがところどころに入ってるのも興味深かった。登場人物の名前が過去の映画出演者の名前だったりね。ロケ地も77年の映画と同じ場所なのだそうだ。何より、滝藤賢一さんが演じた田治見要蔵は、要蔵史上最高の要蔵だったと思う。滝藤要蔵を観るだけでも映画館に行く価値あり。あと、辰弥役の奥智哉さんは「十角館の殺人」「時計館の殺人」(ともにHulu)に続いての惨劇なので、もう田舎には行かない方が身のためかも。……と思ったら「水車館の殺人」の放送が決定したという知らせが。彼の無事を祈る。

 
大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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