近代の性観念を紹介した謎の人物の正体を探る

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近代の性観念を紹介した謎の人物の正体を探る

[レビュアー] 鈴木裕也(ライター)

 明治初期に出版され、大ベストセラーとなった『造化機論』。「造化機」とは生殖器のことで、同書はいわば『解体新書』の性器版に当たる。西洋医学が一般的でなかった時代に、米医学の最先端の情報が翻訳されたもので、多くの人に読まれた“明治の性典”と言ってもいい。ところが、この本を翻訳した千葉繁なる人物の記録はほとんど残っていない。

 本書は、社会学者でセクシュアリティ研究を専門とする著者が、この謎の翻訳者は何者かを長い調査期間をかけて追いかけたルポルタージュともいえる。

 古い文献を当たり、その道の専門家の助けを借り、著者が千葉繁の実像に迫っていくにつれ、NHK大河ドラマにしたら面白そうだと思えてくる。時代は黒船来航、明治維新の転換期。主人公・千葉繁は英語が堪能な中級武士にして藩医。同時代人には維新の志士が並ぶ。登場人物は、緒方洪庵、老中・井上正直、「横浜医学の父」シモンズ医師……。ネタばれになるのでこれ以上は触れないが、ドラマの舞台は整っている。明治の世になり食い扶持を失った中級武士の就活的なものを知る格好の材料にもなる。

 だが、大河ドラマ化は実現しないだろう。何しろ『造化機論』にはオナニー有害論やら胎児発生のメカニズムなど、NHKやPTAが避けたがりそうな、性に関わる“最新論”が網羅されていた。例えば「三種の電気説」なる奇論は、「交合の快楽は電気に基く」として、セックスの際には人身電気、舎密(せいみ)(化学)電気、摩擦電気が発生するというユニークな説で、もっと詳しく読んでみたくなる。

 戦後のカストリ雑誌隆盛の時代にも性科学ブームは起きたが、時代とともに廃れてしまった。『造化機論』も福沢諭吉の『学問のすすめ』に匹敵するベストセラーであるにもかかわらず、語り継がれることはなかった。医学の発展に追い付けずに廃れる性科学書の運命とともに、忘れ去られたその訳者に光を当てた試みは評価したい。

新潮社 新潮45
2014年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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