『御用船帰還せず』
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『御用船帰還せず』相場英雄
[レビュアー] 田口幹人(書店人)
『御用船帰還せず』相場英雄(幻冬舎)は、多くの著述を残した新井白石により、一方的に歴史上における悪役の汚名を着せられた勘定奉行・荻原重秀を主人公とした痛快な娯楽時代小説だ。「みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎」シリーズ(小学館・双葉社)や『震える牛』(小学館)などで、徹底的な取材をもとに現代が抱える歪みや病を描き続けている著者が、いまではなく、過去を書いたと聞いて驚いた。
荻原重秀は、五代将軍綱吉が世を治めていた元禄期、幕府の財政を掌握し、その建て直しに尽力した人物だ。徹底的な検地を実施し、佐渡鉱山の再開発や元禄の貨幣改鋳を行うなど多くの業績を残しているにもかかわらず、不思議なことにマイナスイメージで語られることが多かった人物でもある。いつも、勝者が書き残したものが歴史となる。新井白石が残した史料により植えつけられたマイナスイメージの要因となっているのが、白石の重秀への嫉妬であるといわれている。その嫉妬心をスパイスとして用いながら物語は進んでゆく。
お家取り潰し、勘定所の幹部の更迭を断行した重秀が財政再建の切り札として企てたのは、ご法度とされていた金銀改鋳だった。金属貨幣の限界にいち早く気づいた重秀の独特な貨幣観を、かつて経済部の記者だった著者が解き明かしてゆく。若き重秀のゆるぎない意志を形とするために、柔術、スリ、手妻(手品)、双鉤填墨(複写術)のスペシャリストたちで構成される「微行組」という隠密組織が登場する。困窮を極め、吉原で用心棒をして暮らしていた旗本。孤児として生きるため磨いた技術で盗みを働いていたスリ。花街にしか居場所をみつけることができなかった芸者。そして、寺社奉行だった父が改易の憂き目に遭い、剣術で小銭を稼いでいた画師。これまで日の当たることのなかった猛者たちが、重秀の政策実行を完遂するために集結した。
そして、もうひとつ隠密組織が登場する。北町奉行所の隠密廻である。こちらは、著者がこれまで描いてきた現在の公安警察を彷彿させる。表舞台では、荻原重秀と北町奉行所と新井白石が、陰では微行組と隠密廻が激しく対立する。
江戸から離れた佐渡島の金山、そして幕府の御用船。大掛りな舞台が次々と用意され、手に汗握る大活劇が繰り広げられる。
御金蔵が空になる前に打った劇薬の陰に、こんなスリリングな絵を描くとは、著者の想像力に脱帽した。
重秀と微行組が企てた一世一代の大勝負の結末は、読んで確かめていただきたい。
アベノミクスにより景気が上向きになっているという風潮の現在に対する警鐘が込められているのだと考えれば、本書もまたいまを描いた作品となるのだろう。