生きて動くアメリカ文明 渡辺靖『沈まぬアメリカ 拡散するソフト・パワーとその真価』

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生きて動くアメリカ文明

[レビュアー] 会田弘継(青山学院大学教授)

 アメリカの力とはなんだろうか――。

 繰り返しいわれる「衰退論」にもかかわらず、アメリカは復活する。中国を筆頭とする新興国の登場で、相対的国力は落ちたようにみえる。が、アメリカのさまざまな文化は、いまも世界に広がり続けている。これを従来のソフト・パワー論では捉えきれない。

 そんな思いを抱いて、著者はアメリカを探る旅に出たのだろう。どこか、建国間もないアメリカを旅して名著『アメリカのデモクラシー』を著したトクヴィルを思い起こさせる。

 しかし、未来の知れぬ小さな実験国家を歩いたトクヴィルの旅とは大きく異なってもいる。本書の旅は、アメリカの国境を出て遠くアジア、アフリカに及ぶ。いまアメリカを探ろうとすれば、地球を歩き回らなければならない。二百年でアメリカはとてつもなく大きくなり、変わったのだ。が、変わらぬ原理も働いている。

 アメリカを探るこの世界紀行の中で、評者が興味を抱いたのは、メガチャーチの地球規模での拡散である。礼拝に万単位の人を集めるものさえある、アメリカ起源の巨大プロテスタント教会がアメリカからアフリカ、さらにシンガポールや韓国まで広がっている。世界最大のメガチャーチは韓国にあるという。メガチャーチの章で描かれるのは、アメリカ文化の拡散の複雑な有様だ。

 アメリカは性的少数者(LGBT)の権利擁護で大きく地平を切り開きつつある。先を行く欧州の国々もあるが、超大国アメリカの前進は世界を牽引する影響力を持つ。

 しかし、そうしたアメリカ発のリベラル潮流の広がりに真っ向から反抗し、性的少数者の厳罰化を進めている国がある。アフリカの小国ウガンダだ。反抗の拠点は同国にあるメガチャーチで、それを背後で支えているのは、アメリカのキリスト教保守派だ。こうして、アメリカのリベラル・保守の対立が、メガチャーチの拡散を介して世界規模で展開される。

 ただ、ここで著者が注意を促すのは、単にアメリカのメガチャーチがそのまま外に移転しているだけではないことだ。形式はアメリカのメガチャーチそのものでも、ウガンダあるいは韓国でそれが隆盛となった背景や意味は異なる。また現地の抱える社会問題に即してメガチャーチの社会福祉活動も活発に行われている。「現地化」だ。

 ここにアメリカ文化の拡散のダイナミズムがある。現地化は、アメリカの大学教育の世界的展開、あるいは一九六〇年代末に誕生した子供教育番組「セサミストリート」の世界中への(文化政策としての)展開でも起きている。番組は意識的に、綿密に現地化され世界一五〇カ国で放映されてきた。

 現地化以上に興味深いのは「逆流」だ。典型例として挙げられたのが、ヒップホップである。底辺の若者たちの音楽として生まれたヒップホップは、いまやハーバードなど名門大に研究所や文献コレクションが置かれるまでになり、メインストリーム化した。そのヒップホップが世界に拡散し、さまざまな国で現地化し、そのうちの一つ韓国人ラッパー「PSY」の「江南スタイル」はアメリカに逆流して大ヒットとなった。日米間でもそうした例はいくつかあったろう。

 大衆文化に限らず、ビジネス、宗教……さまざまなアメリカ文化の拡散は、現地化を進め、逆流を引き起こしている。アメリカナイゼーション、グローバライゼーションと名付けながら、実はわれわれがよく理解していなかった現象を、著者は詳らかにしてくれる。それは「(文化)帝国主義」というような言葉では片付けられない、まさに「文明」と呼ぶべきものが生きて動いている姿だ。

 著者が終章で引用する「私はアメリカの中にアメリカを超えるものを見たことを認める」というトクヴィルの言葉は、まさにアメリカが文明現象であるという意味だ。

 その文明の本質は何か。それは、本書冒頭に引かれたゲーテの詩「アメリカ合衆国に」が象徴する。過去も追憶もない。詩人が「あかるい現在をあくまで享受するがいい」と呼びかけた文明だ。その文明は巨大化(メガチャーチ)、拡散(スーパーチェーン)を求めてやまない。一見、異様に明るい。だが、過去も追憶も拒んで、その底にある寂寥は深い。

 近代はしかし、その本質に根ざすアメリカを乗り越えうるいかなるモデルを見いだせるのか――。著者の終章の問いを、衰退どころか、いまも拡散し続けるアメリカを見つめながら考えなければなるまい。

新潮社 波
2015年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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