旅の空に線引きはなかった 大島幹雄『明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか』

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旅の空に線引きはなかった

[レビュアー] ドリアン助川(明治学院大学国際学部教授、作家・歌手)

 あなたには芸がある。棒の上で倒立したまま足で寿司を握るバランス芸だ。危険極まりない芸だが、握った寿司を蹴飛ばして客席まで届けるので大いに受けている。

 これだけの芸があるのだからとあなたは考える。この島国だけではなく、大陸でも勝負してみたい。世界の人は自分をどう観るだろう? どんな物語が生まれるのだろう?

 ちょうどそんなとき、あなたは書店で本書を見つける。著者は大島幹雄さん。ああ、彼の名は知っているとあなたはつぶやく。サーカスや道化師の呼び屋として、あるいは我が国に於けるサーカス学のパイオニアとして有名な人ではないか。

 惹かれるものがあり、あなたは本書を購入する。そして自宅の狭い部屋で倒立し、足でページをめくり始める。いきなり現れたのは古い古い三枚の写真だ。芸人風の揃いの衣裳を着た四人家族。だが、人種はそれぞれ違うように見える「イシヤマ」という一枚。続いて、口にくわえた撥(ばち)に鞠(まり)をのせている「タカシマ」の写真。三枚目の「シマダ」はちょっと信じられないバランス芸に挑んでいる男たちだ。ロープ上の台で腹這いになった男が頭に長い竿をのせ、そのてっぺんで別の男が倒立している。しかも腹這い男の曲げられた足の上ではさらにもう一人の男が倒立。こんな凄まじい芸は観たことがないとあなたは驚く。これがみな日本人? しかも明治時代にロシアで活躍? どんなジャンルでも平成のこの世が一番進んでいると思い込んでいたあなたは、その脆い常識を打ち破られたようで足さばきが乱れ、本のページをめくり過ぎてしまう。

 そこで偶然目についたのが、当時の大陸と日本の定期航路を示す地図だ。なるほど、とあなたは思う。日本から一番近い大陸は極東ロシアなのだ。決してアメリカではない。鎖国が解かれ、いざ海外へと青年たちの胸が熱くなった時代、彼らにとってまず懸案となったのは渡航手段であり、それはすなわち距離の問題でもあったはずだ。大陸に一歩を印すため、越えるべき海は日本海だった。

 あなたはもう一度最初のページに戻る。著者の大島さんは、ロシア革命の牽引役の一人だったある道化師の生涯を調べているうち、偶然にも日本人だと思われる芸人たちの写真を得た。彼らが何者だったのかを知るため、まずは幕末から明治初期に渡航した日本の芸人がどれだけいたのか、そこから丁寧に調べ始める。大島さんのその念入りな取材ぶりにあなたはとにかく脱帽する。調査結果を読んでいるだけで、日露間の芸人の交流だけではなく、サーカスの成り立ちについての基礎知識までが自然と頭に入ってくるからだ。

 それにしてもと、あなたは唸る。明治のサーカス芸人たちの息吹きよ。おのれの技を信じ、海を越えようとした芸人たちのなんと度胸の座っていたことか。

 あなたは寝食を忘れ、逆立ちをしたまま本書を読み進めていく。第一次大戦勃発時に欧州で公演していた日本の芸人グループは全部で十八組などというびっくり情報に触れつつ、しかしやはりあなたが手に汗を握り締めたのは、後半、ロシア革命に翻弄されてしまう彼ら日本人芸人の命運を、大島さんがその子孫にじかに会い、ひとつひとつはっきりとさせていくくだりだ。

 スターリンによる粛清の嵐。革命をも受け入れた日本の芸人たちが、人種的偏見の入り混じった密告によりしょっぴかれ、裁かれ、処刑の場へと連れられていく。その無言の叫びよ! 残された家族たちの過酷な日々よ!

 誰がどんな運命を辿ったのか。これから読む人のためにあなたはいっさい明かさない。憮然として、口をつぐんだままあなたは逆立ちを続ける。鮮やかだったはずの彼らの芸とは対照的に、その人生を飲み込んでしまった全体主義の冷酷さにあなたは目を閉じる。

 だが、それでもあなたの瞼の裏には、澄んだ空の碧が浮かび上がる。体で見せる芸があるからこそ、国境も言葉も越えることができた明治の青年たちの旅。その頭上には、線引きのない自由な空が輝いていただろう。断崖に向かっていた彼らの旅を二十五年もかけて追い続け、本書を著した大島さんの旅、その頭上にも等しく澄んだ空はあったはずだ。あなたはその純粋さが胸にしみているから、本書を閉じたあとも逆立ちを続け、空の向こうにおのれの旅をも思い描く。

新潮社 波
2015年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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