〈正史〉と〈叛史〉をつむぐ、すさまじい力業 船戸与一『残夢の骸―満州国演義9―』

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〈正史〉と〈叛史〉をつむぐ、すさまじい力業

[レビュアー] 井家上隆幸(書評家)

「1・風の払暁」「2・事変の夜」(〇七・四)、「3・群狼の舞」(〇七・十二)、「4・炎の回廊」(〇八・六)、「5・灰塵の暦」(〇九・一)、「6・大地の牙」(一一・四)、「7・雷の波濤」(一二・六)、「8・南冥の雫」(一三・十二)、そして「9・残夢の骸」(一五・二)――。

 原稿枚数は四百字原稿用紙で七千枚超か。昭和三年六月四日の高級参謀河本大作らによる満州軍閥の支配者・張作霖爆殺(満州某重大事件)に始まり、昭和二十一年五月の広島で閉じる〈大叙事詩〉『満州国演義』全九巻が完結した。

〈演義〉とは「歴史の事実を面白く脚色し俗話(「白話」)を交えて平易に述べた小説」のこと。張作霖爆殺から敗戦に到る十八年間の昭和史とがっぷり四つに組んだこの大長編小説の冒頭に置かれた、慶応四年八月の会津若松城下で会津藩士の若妻を長州奇兵隊士が凌辱するプロローグは、全九巻を貫く「敷島家に取り憑いた悪霊」間垣徳蔵と敷島四兄弟の因縁という〈白話〉のはじまりというだけではない。『蝦夷地別件』(九五)で〈民族国家〉への原初をえがき、次いで『新・雨月/戊辰戦役朧夜話』(二〇一〇)で日本陸軍の原点を追求した船戸与一は、最終巻『残夢の骸』で、登場人物の視点を介していう。

「いま急に武備を修め、艦ほぼ備わり砲ほぼ足らば、すなわちよろしく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、隙に乗じて、カムチャッカ・オロッコを奪い、琉球を諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからしめ、朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古えの盛時のごとくならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾・ルソンの諸島を収め、漸に進取の勢いを示すべし」とした吉田松陰『幽囚録』が高揚させた日本の〈民族意識〉は、「黒船の来航で一挙に顕在化」し、明治政府は、「暦の変更ぐらいしか政治に関与できなかった」天皇を日本のすべてを統べる中心に据え、植民地化を避けるために「『幽囚録』で示されたとおり朝鮮を併合し、満州領有に向かうことになった。これに日本民族主義の発展形たる大アジア主義が合流し、東亜新秩序の完成をめざして走りだして」いくことになる。

「ペリーの来航によって完全に覚醒した日本の民族主義は松陰の提示した方法によって怒濤の進撃を開始し、アメリカの投下した二発の原子爆弾によって木端微塵にされた。日本の民族主義の興隆と破摧。たった九十年のあいだにそれは起こった。これほど劇的な生涯は世界史上類例がないかも知れない。この濁流のあとかたづけに日本は相当の歳月を要することになるだろう」と。

 船戸与一には、小説家になる以前に豊浦志朗の筆名で書いた二つのルポルタージュ、『硬派と宿命』(七五)と『叛アメリカ史』(七七)がある。前者で彼は「硬派の分布は多岐にわたる。革命の側にもいれば反革命のサイドにもいる。民族解放戦線の中にもいれば、弾圧者の傭兵の中にもいる。無頼の一味の中にもいれば、警察官の中にもいる。共通していえることは、硬派はつねに状況の最前線で行動するということだ」といい、後者では「正史――教科書に書かれた歴史はみごとに首尾一貫している。強い者が勝つ」「勝った者は正しい。これが今日、歴史体系といわれているものである」「叛史とは正史が設定した座標軸(プログラム)そのものをぶち壊すことを目的とした迎撃と侵攻のヴェクトルである」「叛史の戦場は正史が力ずくペテンずくで設置した隔離収容区域である」「この隔離区(ホーム・タウン)には正史のスパイたちがうようよと放たれている」そこでは「注意力・信頼感が、猜疑心・痴呆性に変質しないよう、どこよりもたえず自己検証することが要求されているのだ」という。(つけくわえれば『叛アメリカ史』は再刊されている【ちくま文庫・八九】が、『硬派と宿命』は再刊されていず、いまは古書店でも入手困難だが、この二冊は船戸与一の“冒険小説”を、ことに『蝦夷地別件』や『新・雨月』そして『満州国演義』を興趣深く読むには必須である。どこか復刊する出版社はないものか)。

 話題を戻す。『満州国演義』で真正面から向きあい、「幕末維新時に巣立ちし飛翔した日本の民族主義がついにはいったんの墜死を遂げるまでの濃密な歴史」の〈九十年〉の後半を、船戸与一は、敷島家の四兄弟をして凝視させ、ときに加担させて、〈正史〉と〈叛史〉をつむいで見せるのだ。

 敷島四兄弟――。長兄の太郎は東京帝大出で、満州事変勃発時は奉天総領事館参事官。「国家を創りあげるのは男の最高の浪漫だ」といったゲーテ(『ファウスト』)にならうように、満州国を創るという最高の浪漫と添い寝して国務院外交部政務処長となり、志操を棄てて地獄に堕ち、敗戦でソ連軍に囚われて、昭和二十一年シベリアの収容所で自殺。

 次男の次郎は十八歳で日本を棄てて満州に渡り馬賊となり、青龍同盟の攬把として柳絮のように風まかせ。何も頼らず何も信ぜず、その日その日をただ生きて、満州から上海へ、さらに東アジアへと流氓しインド人、ビルマ人の反英独立運動に加担、破壊工作に邁進したあげく、インパール作戦の敗北で“白骨街道”を敗走、赤痢とマラリアで死す。

 三男の三郎は陸軍士官学校を出て関東軍将校として満州全域の抗日武装ゲリラ(国民党系の東北抗日義勇軍、楊靖宇率いる共産党系の東北人民革命軍、金日成の朝鮮人民義勇軍など)を追跡。ときに軍規を犯した将校を射殺する剛直で頑なな帝国軍人として、昭和二十一年通化での日本人の反中国蜂起に加わり死す。

 末弟の四郎は二十歳にして大杉栄の思想に惹かれ左翼劇団に入るが、義母の真沙子と道ならぬ関係に陥り、そのことを知られた間垣徳蔵の指示で上海東亜同文書院に学ぶが、以後間垣の命で阿片窟、売春宿の主となり、武装移民村、天津の親日派新聞の記者、甘粕正彦の満映、関東軍司令部の特殊情報課嘱託と、地獄を彷徨う。だが、「四人兄弟でもっともひ弱に見えたが、いまは一番逞しく生きているように思える」と三郎が述懐したようにひとり生き延び、三郎が助けた少年を広島に送りとどける。

 この四兄弟が、それぞれの〈視点〉で集積した個々の事実を分析し推測していくなかで〈正史〉を形づくった、おびただしい実在の人物が登場する。順不同にあげれば石原莞爾・板垣征四郎・東条英機・牟田口廉也・大西瀧治郎といった将官、辻政信・瀬島龍三・朝枝繁春・藤田実彦・堀栄三・小野寺信ら陸大出の参謀将校、さらには幣原喜重郎、松岡洋右、岸信介、緒方竹虎、牛島辰熊、川島芳子、李香蘭、あるいは左翼大塚有章――克明に列挙すればきりがないが、しかし彼らは“生身の人間”としては〈演義〉の世界に立ち現れない。現れるのは下級将校や庶民のなかの満州で一旗組それに満州人・中国人・朝鮮人、それにユダヤ人・インド人・アラブ人。

 膨大な資料を渉猟していくなかで、船戸与一が指弾する、辻政信や瀬島龍三ら陸大出参謀の官僚的優秀さと視線の狭隘さ、失敗してもおよそ責任といった言葉とは無縁の厚顔さは、あの十八年の(全部とはいわない)一年でも体験していれば腑に落ちるというか。

 あるいは船戸与一の〈昭和史観〉を〈自虐史観〉と謗る向きもあるだろう。だがこれは、「認定された客観的事実と小説家の想像力。このふたつはたがいに補足しあいながら緊張感を持って対峙すべき」(あとがき)〈昭和史〉であり、〈自虐史観〉なんぞとは無縁である。

 奇しくも平成二十七年の年頭に当たっての感想で平成天皇は、「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだ」と強調された。その感想に応えるように完結した『満州国演義』は〈演義〉であるゆえに、「歴史知らず」といわれる若ものや、やみくもに〈民族意識〉をふりかざす人びとに、「歴史に学ぶこと」を感得させる歴史小説なのである。時勢が時勢であるだけに、肉体は病におかされても精神は毫も揺るがぬ船戸与一のすさまじい力業をじっくりと味わっていただきたいものである。

新潮社 波
2015年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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