磯崎憲一郎・インタビュー 時代を超えて、繰り返されてきたこと 『電車道』刊行記念

インタビュー

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電車道

『電車道』

著者
磯崎, 憲一郎
出版社
新潮社
ISBN
9784103177128
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

『電車道』刊行記念インタビュー 磯崎憲一郎/時代を超えて、繰り返されてきたこと

ある高台の町を舞台に、日本に流れた百年の時間を描き、自然災害や戦争、さらには資本主義経済と抗いがたいものに翻弄されながら絶えまなく続いてきた人間の営みを活写した長篇小説『電車道』。磯崎さんの代表作になるであろう呼び声高い本書が、どのようにして生まれたのか? じっくりお話を伺いました。

磯﨑憲一郎
磯﨑憲一郎

――『電車道』は、磯崎さんの初めての連載小説にして、これまで書かれた作品の中でも最長のものになりました。本作を書こうと思われたきっかけなどはあったのでしょうか?

 さかのぼると2011年になりますが、この年の10月に北杜夫さんが亡くなられたんです。ちょうどその頃、僕は、「どくとるマンボウ」シリーズの著者としてではなく、『楡家の人びと』を始めとする北さんの小説にもう一度光を当てることができたら、と思って、文芸誌で北さんとの対談を企画していたんですね。それが地震や仕事の都合もあって結局実現できないままになってしまった。これは小説家になって以来、最大の後悔となりました。

 北さんが亡くなられた後、『楡家の人びと』を改めて読み返したら、やっぱりすべての小説家がこれを目指すべきだと思うくらいすばらしい小説で、そのときに自分も早くこういう長編を書かなければいけないと思いました。『終の住処』や『赤の他人の瓜二つ』も自分のすべてを出し切って書いたものの、まだ作者のコントロールが効いている小説でした。そこで、もっと小説の奥へ奥へ入りこむような、小説の底にずっと潜水したまま書き続ける力をつけないと長篇は書けないだろう、と思って、『往古来今』の連作短篇に挑みました。

 英文学者でボルヘスの翻訳をされた篠田一士さんが、「『楡家の人びと』の文学的勝利を、一口で要約すれば、叙事のおどろくべき徹底である」と言っているように、どこまで作者を消して、小説に内在する力に寄り添い、具体性だけで書き進めていくことができるか。『往古来今』の最後に収録された「恩寵」で、ようやくそれができたんです。

――『電車道』は鉄道開発を背景にして、舞台となる高台の町に流れた百年の時間そのものが主人公のような小説です。こうした構想は、最初からあったのでしょうか?

 それがないんですよ。電車が出てくることも、百年の時間というのもまったく考えていませんでした。最初の一行を書いて、そこから動き出していく書き方は、デビュー以来変わっていません。最初のきっかけは、世田谷の自宅の近くに喜多見不動というお寺があって、毎年元旦に初詣にいくのですが、そこの境内に洞窟があるんです。ちょうど人が入れるくらいの大きさで、なかに祠があって。あるとき、この洞窟には昔、人が住んでいたんじゃないか、と思ったことから、この小説の冒頭部分が生まれました。

 それから、およそ百年前という設定が見えてきて、どんどん書き進めていくうちに、不思議なことに、この時代にもしかしたらこういう史実があるんじゃないか、と思って調べてみると、それが本当にあるんです。気味悪いくらいに。例えば、戦時中に盆踊りやヨーヨーが流行したことや、路面電車を先導する告知人制度、戦争が激化するなかで犬の回収令があったことなんかもそうでした。金属類回収令はわりと知られていると思うんですが、生き物にもそういうことがありそうだと思って調べると、やっぱりある。

 女優がロケ地の奄美大島で自衛隊機の墜落事故を目撃する場面もそうです。これは昭和37年の夏になにか女優がショックを受けるような出来事がないだろうか、と思って探すとちゃんとある。不思議なくらい小説に導かれている感覚があって、それはこの小説を書くうえで大きな支えになりました。

 まず史実ありきではなく、いま書き進んでいる方向が間違っていないことを史実が受けとめてくれている。しかも史実というのは一般的には小説の外部を支えるもので、脚注のような役割になりやすいのだけど、『電車道』に書かれた出来事は、実際にあったことでも、本当にこんなことがあったのか、と思わずツッコミを入れたくなるぐらいに、ある意味嘘っぽい、つまり「小説の言葉」になっているんです。

――では、『電車道』というタイトルも最初から決まっていたわけではないんですね。

 書き進めていくなかで見つかった感じですね。相撲好きの方はご存知かもしれませんが、「電車道」というのは「立ち合いから、一直線に相手を押しや寄りで土俵の外に出すこと。その様が電車のレールのようにまっすぐであるところから、このように呼ばれるようになった」という意味の相撲用語なんです。この言葉のグイグイ押し切っていく感じが、この小説の時間の流れであり、のちに電鉄会社の社長となる男の生き方であり、高台の町の私立学校の校長の一直線な生き方を捉えているように思いました。それに、このふたりの男の人生は決して交わることなく平行に走り続けていて、まるで電車のレールのようでもある。

 最初は洞窟に住み始めた男の話なのか、と思っていたら、書き進めていくうちに、もしかしたらこの小説は電車の歴史になるのかな、と気づいて。すると、またいろんな事実が出てくるんです。2015年の今現在の感覚では、僕たちが電車を使っていると思っていて、電車が遅れたとか文句を言ったりしているんだけど、舞台となる高台の町だって、元を辿れば電車にお客さんを乗せるためにつくられた住宅街なわけだから。実際には、僕たちが電車を使わされていて、そもそも成り立ちの順番が逆なんですよね。

――あたり一面、桑畑だった土地に、線路が通って駅舎が建ち、気づけば家だらけになっていたり、町の風景や人々の暮らしぶりの変化の軌跡が細やかに描かれていく一方で、変わらずにあるものも際立って感じます。

 これも進めていくなかで気づいたのだけど、この小説に書かれているのは、「反復」なんです。一番わかりやすいのが、政治家を目指して落選した男が伊豆の温泉場でイギリス人女性と恋をする。その後、隠し子の女優は映画監督と、さらにその息子が電車のなかで恋に落ちます。その他にも、労働や経済の問題もそうですよね。「時代が変わった」とはよく言うけれど、実は同じことがずっと繰り返されている。明治時代の丁稚について調べてみたら、現代のサラリーマンと大差ないんですよ。

「それにしても百年前の勤め人の苦悩と、昭和から平成に元号が変わろうという時代の新人社員の苦悩がさして変わっていないのだとすれば、それはもう絶望を通り越して滑稽というしかない、反復は、個人にとってみれば単なる悲劇かもしれないが、歴史にとってみれば一種の緩衝剤のような機能を果たすことになる」と作中に書いたように、そうした反復を僕はむしろポジティブに考えているんです。

 これは「過去」を描くことにもつながる話だけど、人間は自分たちの眼の前にあるものが一番たいへんだし大事だと錯覚しがちなんだけど、本当にそうなのか。それを相対化して考えたい。ずっと反復され続けてきたものは確かにあって、今も昔も実は変わっていない。いいものも悪いものも結局続くんです。そこに継続性が担保されていることがわかると、今を生きることがすこし楽になるんじゃないかって。

――路面電車の先走りも、銀行の窓口業務も、戦場の兵士も、様々なかたちの労働が作中に出てきますが、同時に、そうした労働を可能にさせている人間の従順さへの複雑な思いも全体を通じて響いているように感じました。

 極端な例としては、戦闘機の操縦士が上からの命令だからといって、どうして従順に敵に体当たりしていくのか。実際には逃げたり別の行動だってとることができるはずなのに、仕事だと言われたら従ってしまう。その判断停止への怒りは、洞窟の男にもあるし、社長にも女優にもある。いったい何故そうなるのか、と問われれば、それは経済がそうさせているんだけれど、銀行員になった女優の息子によぎる「朝から晩まで奴隷のように働けば少なくとも生活の心配だけはしなくて済む身分になったことが、そんなに嬉しいのか?」という疑問はやっぱりありますよね。

――経済に翻弄される人間の姿と対比的に、自然のゆたかさが魅力的に描かれています。なかでも、電鉄会社社長の老夫婦がムササビを放野するところは忘れがたい場面でした。

 のちに社長となる男がイギリス人女性と一緒に大島桜を見にいって、ムササビに遭遇するところは、以前実際に、僕もムササビが突然飛び立つところを見たこともあって、いい場面だなと思って書いたんです。ただ、再び大島桜を見にいったところでもう一度ムササビを出すことには躊躇して、さすがに出し過ぎかな、とずっと迷っていました。しかし実際に書いてみたら、老夫婦とムササビの別離の場面をよかったと言ってくれる人が多くて、小説に導かれるように、あのひときわ光る一文を書けたことに、自分の小説家としての成長を感じました。この一文を書くために出てきてくれたんじゃないかって思ったら、ムササビに感謝したいくらい(笑)。

――戦争中に犬を連れて逃げ出す少女も印象的でした。

 あの少女は当初、戦争中のエピソードだけのはずでした。でも、すごくよかったから、またどこかで出したいな、という思いはあった。それが電鉄会社の社長の葬式に、隠し子が現れるという展開が生まれたところで、そうだ、この女優をあのときの少女にしよう、と決めたんです。

 その回が「新潮」に載ったときに、連載をずっと読んでくれている友人からメールが届いて、「だから、戦争中の食糧難のときに社長から高台の町の学校に米俵が届いたんですね」と言われて、あっ、そうだったのか! と自分でも驚いたんです。米俵のことを書いた時点では、社長は高台の町の宅地開発に関わっていたからだと思っていて、隠し子があの学校に通っているなんて、まったく考えていなかったので。その指摘を受けたときに、小説が作者に教えてくれたように感じて、自分は小説の中にちゃんと潜り続けることができたんだ、と確認した瞬間でもありました。

――最後に、この作品を書き上げた今のお気持ちを聞かせていただけますか。

 ボルヘスは生涯、短篇しか書かなかったわけですが、もし長篇を書いていたら、こういう作品になったんじゃないかなって、書き上げたときに思ったんです。不遜に聞こえてしまうかもしれないのですが、書いた自分を誇らしく思うのではなくて、書いた自分がその小説を見上げてしまう感覚。たとえば走り高跳びで、自分はかつてあんなに高く跳ぶことができたけれど、今の自分はもう二度とあの高さは跳べない、ということがあるじゃないですか。その感覚に近いかな。ただ、一度でもそれを跳ぶことができたというのは、小説家としてもう充分すぎるくらい幸せなことだと思うんです。

新潮社 波
2015年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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