『みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記』
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みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記 [著]星野博美
[レビュアー] 東えりか(書評家・HONZ副代表)
日本のキリシタン史は一五四九年にカトリック教会イエズス会の司祭、ザビエルが鹿児島に到着したことから始まる。それからおよそ一世紀間、キリスト教と日本の為政者との間に保護と迫害の歴史が残る。家康が宣教師たちを海外に大追放したのが一六一四年。四百年の時を超え、一人のノンフィクション作家が彼らの足取りを追う旅に出た。
星野博美がこの時代に興味を持ったのは二〇〇八年から自分の先祖について調べ始めたことがきっかけだった。先祖が住んでいた房総半島の岩和田海岸で南蛮船が難破し、村人たちが裸で温めて助けたのだという。
星野は、まず天正遣欧使節の少年たちが帰国後、演奏したルネサンス音楽の楽器、リュートを習おうと決意する。この楽器に導かれるようにどんどんと深みに嵌っていくのだ。
キリシタンを保護した信長の死後、秀吉は伴天連追放令を発布し多くの殉教者を出す。一時は歩み寄りを見せた家康も、大追放後、執拗に追跡を続け迫害を繰り返す。宣教師たちは、競うようにその詳細を本国の教会に報告したため、殉教の歴史は今でも読むことができるのだ。記録をもとに宣教師と信徒たちの処刑地を星野は巡る。何かに憑依されても止めることはできない。
その足は、日本で殉教し、列福・列聖された司祭たちの故郷である、スペインのバレンシアやバスクにまで向かう。寒々しい日本の遺跡と違い、殉教者が名誉として崇められている土地にたどり着き、星野は息を吹き返す。長い旅はようやく終わったはずだった。
あとがきに、二〇一五年明けに起こったイスラーム国による日本人殺害への思いが綴られていた。本書を読みながら異教徒への迫害と殉教について同じような思いを抱いていたので、深く共感して本を閉じた。
その翌朝、パリの同時多発テロが起こった。今はこのむなしさをどうしたらいいか、途方に暮れている。