【教養人のための『未読の名作』一読ガイド】奴婢訓 [著]スウィフト[訳]深町弘三

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奴婢訓

『奴婢訓』

著者
スウィフト [著]/深町 弘三 [訳]
出版社
岩波書店
ジャンル
文学/外国文学、その他
ISBN
9784003220924
発売日
1950/05/30
価格
506円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【教養人のための『未読の名作』一読ガイド】奴婢訓 [著]スウィフト[訳]深町弘三

[レビュアー] 渡部昇一(上智大学名誉教授)

 英文学者として博学で知られた福原麟太郎先生が、日本文学者で諷刺作家と言われる人を調べようとなさったことがあった。そして齋藤緑雨が明治時代の諷刺作家として有名であることを知り、それで読んでみたところが、大した諷刺ではないことを発見された。齋藤緑雨の言葉としては「筆は一本なり、箸は二本なり。衆寡敵せずと知るべし」とか言って、文学者が貧乏ならざるを得ないことを喝破したことなど、われわれも知っていた。彼の皮肉が鋭かったことについては幸田露伴も言及しているくらいだ。しかし福原先生はちっとも感心しない。「たいしたことはないではないか」と思われたのである。それは福原先生がイギリスの諷刺家と比較されたからだ。ではそのイギリスの諷刺作家とは誰か、と言えば、福原先生の頭に浮んだのは、かの『ガリヴァー旅行記』の作家ジョナサン・スウィフトであった。

『ガリヴァー旅行記』自体が巨大な諷刺になっているのだが、もっと身近なことをテーマにして、しかも骨髄に徹するような痛烈な皮肉と諷刺になっているのが彼の最晩年の著作の『奴婢訓(ぬ ひ くん)』である。もっとも老年になってから一挙に書かれたものでなく、ずいぶん若い頃からの観察を書き溜めていたらしい。そして「教訓」というタイトルで実際には反対のことを教えている奇著なのである。その例をいくつか挙げてみよう。

「主人の損になっても一向かまわないから、いつも商人の味方になること、買物の時も主人のためと思って値切ったりしてはいけない。商人の言い値で鷹揚に買ってやれ。これは主人の評判をよくすると同時に、自分の懐にも商人からの志が何シリングか入ることになろう……」

「困ったことがあったら、すべて奥様が可愛がっている狆(ちん)か猫か、おうむか、子供のせいか、最近やめた召使いのせいにするがよい……」

 こんな教訓ばかりで一冊の本にしたスウィフトの前では緑雨の皮肉など話にならない。ただこのスウィフトは発狂して死んだ。

新潮社 週刊新潮
2015年12月17日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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