『べつの言葉で』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
べつの言葉で [著]ジュンパ・ラヒリ[訳]中嶋浩郎
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
東京生まれの東京っ子は言葉に鈍感だ。私がそうなのでよくわかる。地方出身者が上京のときに味わう戸惑いを体験せずに大きくなる。
反対に、そのことにもっと敏感なのは海外で暮らす子供たちだ。最初の短篇集『停電の夜に』が高い評価を得たインド系の女性作家ジュンパ・ラヒリもそのひとり。四歳のときに両親と渡米し、英語の環境で育った。ベンガル語もできるバイリンガルである。
ところが、本書はそのどちらでもなく、
イタリア語で書かれている。なぜ? という問いの答えは簡単には言い表せない。記憶をたどり、比喩を使いながら、順を追ってそれを解きほぐしていく。
彼女はふたつの言葉に人一倍強く自己を引き裂かれてきた。母語の一方がベンガル語だったことが大きい。アメリカで生きていくのに必須の英語をマスターしようとするほど、マイナーであるがゆえにその言葉と強く結びついた両親とのあいだに齟齬が生じたのだ。
風貌も無関係でなかった。ラヒリの英語は優れた小説を生み出すほど完成されているが、顔立ちがちがうゆえにアメリカ人とは見なされず、つねに自分を不完全な存在のように感じてきた。第三の言語を学ぶことは、そうした葛藤から自由になれる自分との出会いをもたらした。
それにしてもなぜイタリア語?
響きが英語よりもベンガル語に近く、最初に耳にしたときから深い親しみを抱いたという。彼女のイタリア語が英語を母語とする人のそれよりも訛がなくて自然だという事実がそれを証拠立てている。
とはいえ、第三の言葉を完全に自分のものにするのが不可能なのは承知している。この挑戦の本当の意味は、「不完全」を受け入れるのを学ぶことであり、猛烈な努力家で完璧主義者の自分と和解することなのだ。言葉は単に意味を伝達するだけでなく、その人の核となるものと深く関わる。痛切にそう感じた。