精神の同族だった「詩人」二人

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叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦

『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』

著者
若松 英輔 [著]
出版社
慶應義塾大学出版会
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784766422696
発売日
2015/10/29
価格
2,200円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

精神の同族だった「詩人」二人

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 ランボー、ドストエフスキー、ベルグソン、本居宣長、プラトン等々。彼ら巨人たちの著作を生涯かけて読み込んだ人物の名前を挙げよ。

 そんな問題が出たら、答えは簡単である。小林秀雄に決まっている。勿論、それで正解なのだが、もう一人の名前を挙げてもやはり正解であることに変わりはない。その名は井筒俊彦。今なにかと話題にのぼる「コーラン」を完訳し、五十ヵ国語をあやつる語学の天才、イスラム思想の世界的研究者として知られた井筒は、小林が格闘した先人たちをも探求の対象にした哲学者であった。

 若松英輔の『叡知の詩学』は小林秀雄と井筒俊彦を重ね合わせる。年齢は小林の方が十二歳年上である。どこかで出会った形跡はない。二人の著作にお互いの名前は出てこない。井筒の遺された蔵書に、小林の本は『古典と伝統について』というアンソロジー一冊があるきりだ。それでも二人は精神の同族であった。

 ボードレールの「優れた詩人こそ最上の批評家だ」という言葉を使って、若松は二人を結びつける。二人は詩を書いたわけではない。詩とは「存在の秘密を顕わにする魂の営み」であり、その営みを「人生の中心に据えながら生涯を終えた」からこそ、批評家は詩人であり、哲学者も詩人だった。

 英語の著作が多かった井筒が日本語で書いた主著に『意識と本質――精神的東洋を索めて』(岩波文庫)がある。若松は『意識と本質』を、時代や文化、空間や信仰が違ったために出会わなかった人々を、「時空の妨げを取り払って」本の中で対話させる試みであったとした。おそらく『叡知の詩学』は、そうした意図のもと、小林と井筒を一冊の本の中で出会わせ、対話を試みたものと言える。

 対話のための補助線として、何人かの死者が招喚される。本書の扉に「越知保夫の霊にささぐ」と献辞がある、ユニークな小林秀雄論を書いて早逝した越知保夫。戦争中の「近代の超克」座談会の出席者で、やはり早逝したカソリック哲学者の吉満義彦。その吉満の講義を受けていたカソリック作家の遠藤周作。敗戦間際に『日本的霊性』を出版した禅思想家・鈴木大拙。独自のアンテナで二人に辿り着きながらも早逝した哲学の巫女・池田晶子。若松の関心領域に棲む死者たちの助力を得て、若松立ち合いのもと、小林と井筒は接近していく。

 若松は井筒俊彦の評伝作家であり、現在刊行中の『井筒俊彦全集』の編者でもある。小林と井筒の二人を等し並みに見てはいても、どうしても井筒に主眼がおかれる。だが、小林秀雄に慣れ親しんできた多くの普通の読者からすると、小林の像を井筒の視線を媒介させて見直すことになる。

 小林の戦争中の文章に「当麻」がある。『無常といふ事』の中の一篇だ。「美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない」という有名なフレーズを含むエッセイだ。この「花」は世阿弥の花だが、井筒も「花」の喩えを好んだ。『意識と本質』にも「花」は登場する。若松によると、井筒の「花」は禅の古典『碧巌録』の公案「南泉一株花」に由来するという。井筒は小さい時に父親から徹底して禅を叩き込まれる、特異な育てられ方をしている。戦後すぐの小林には、鈴木大拙と『碧巌録』に触れながらドストエフスキーを論じた文章があるという。やはり戦後まもなくの、小林の講演録『私の人生観』を思い合わせれば、小林の禅への親近が納得できる。

 井筒は初期の著作『神秘哲学』で、既に「真に哲学者と呼ぶべき者の心には必ず詩人の魂が息づいている」と確信している。井筒が次に書いたのは『マホメット』だった。若松は井筒にとっての「異界への導者」が砂漠の預言者ムハンマドであり、小林にとっての「異界への導者」が詩人ランボーだったとも言う。ランボーにぶちあたり、咀嚼し、翻訳することによって、小林は「現象の奥に隠された実在にふれる者」になったとも。

 井筒を通してみる若松の小林像は「神秘家」である。神秘家と神秘主義者を混同してはならない。「神秘主義者はこの現実世界よりも異界を語ることに忙しいが、神秘家の責務は眼前の世界に深く生きることにある」。これらは小林の中に根強くある近代科学への不信を、むしろ正面から肯定している。超能力者ユリ・ゲラーに小林が注いだ関心をも理解できてくる。「小林は、ランボーが異界を見つめるまなざしを「千里眼」という言葉で表現」し、中原中也も「千里眼」であるとした。

 若松が提出する小林秀雄は、宗教的人間である。宗教というより信仰と呼んだほうが適切なようだ。小林には「信仰について」という小品があり、その中で、「「宗教は人類を救い得るか」という風に訊ねられる代りに「君は信仰を持っているか」と聞かれれば、私は言下に信仰を持っていると答えるでしょう」と書いた。

 小林秀雄という批評家のもっともわかりにくい部分が、井筒俊彦という哲学者を隣りに置くことによって、輪郭をともなってくる。そんな読書体験であった。

 小林の最大の関心は「言葉」であろう。井筒にとっては「コトバ」である。それ以外にも冒頭に並べた巨人たちをめぐる二人の交錯の軌跡は興味深い。

 井筒に前々から傾倒していた人に江藤淳がいる。井筒は江藤の慫慂を容れて、昭和二十年代の著作『ロシア的人間』を江藤ゆかりの版元から再刊している。井筒ブームが日本で起こる以前にだ。『ロシア的人間』は、井筒が小林の文体に一番接近している本である。

新潮社 新潮45
2016年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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