『円山町瀬戸際日誌』
書籍情報:openBD
弁護士兼名画座館主の映画愛
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
「今日という地獄をぶち破らない限り、オレに明日は来ないんだ」
本書で紹介されている映画「東京流れ者」の渡哲也のせりふを地で行く、二十一世紀に入って名画座「シネマヴェーラ」を東京・渋谷のラブホテル街の真ん中に立ち上げた映画館主の、「山あり谷あり」の十年の記録である。
著者はエンタテインメント業界を専門とする弁護士で、仕事として映画を扱うだけでなく、東大法学部に在学中は伝説の蓮實重彦ゼミにもぐり、映画評論家を志したこともある、れっきとしたシネフィルでもある。
向こう見ずであっても、行き当たりばったりではない。ハコモノ・土地は自前で確保、単館映画館の草分け、「ユーロスペース」に声をかけ、自称「小判鮫商法」の複合館としてスタートするなど、儲からなくても大きな損は出さないように、周到な準備はなされていた。
にもかかわらずというべきか、やはりというべきか。新参映画館の道のりは険しかった。二〇〇六年、映画をDVDなどで視聴する習慣が定着し、街から名画座が消えゆくなかでのオープンである。時流に乗らず、むしろ逆らうことでオルタナティヴとしての勝機を見出そうとするのだが、なかなかどうして思うように客は集まらない。マキノ雅弘「次郎長三国志」特集での壊滅的な不入り(「旅がらす次郎長一家」の観客数が六人だった)に衝撃を受けた蓮實御大から動員を呼びかける檄文が飛んだこともあった。
山あり谷ありの山はなだらかで、谷底は果てしなく深い(ように描かれている)。それでも、少しずつ、映画ファンの間に「ヴェーラ」の名前は浸透していく。鈴木則文特集、清水宏特集や、「妄執、異形の人々」といった特集上映のヒット、映画関係者の応援もあって、経営は軌道に乗り始める。
とはいうものの、興行は一回一回バクチを打つのと同じ。イケると思った企画がコケて自信のない特集が当たることも。支配人を務めるようになった妻の企画は当たりをとる。「典型的な名画座のお客さん」以外の客にも来てほしいと願う著者から「世間一般の好みがわからない」といったグチがぼろぼろこぼれるのがおかしい。当たりはずれの読めなさ加減に一喜一憂させられるドラマが本書の魅力で、夢を追う人生そのものが映画のよう。
自分のところの映画館が不入りなのに、よそで貴重なフィルムがかかっていれば迷わずそっちに行ってしまう著者は、ビジネスマンの顔を持ちつつ徹底的に映画愛の人である。フィルム撮影からデジタルに映画が移行するなか、本書を読めば昨今の上映環境の変化や問題点もよくわかる。なにより、映画館に飛んで行きたくなる、すぐれて求引力のある本だ。