【聞きたい。】片岡義男さん 『この冬の私はあの蜜柑だ』
[文] 海老沢類(産経新聞社)
■始まりの予感奏でる物語
「喫茶店の話、多いですね。要するに関係の始まりなんですよ。待ち合わせをしていて相手が来る、それで話が始まる」。自作短編に出てきそうな落ち着いた雰囲気の喫茶店で、着想の一端をゆっくりと丁寧に話してくれた。
ぶどう味のアイスキャンディーに彩られた遠い夏の記憶が大人になった同級生のズレを浮かび上がらせる「愛は真夏の砂浜」、台風が迫る夜にコーヒーの店の店主と女性客が交わす会話の意外な帰趨(きすう)をつづる「あんな薄情なやつ」…。収録された9つの短編は、つかの間、街で向き合っては離れていく大人の男女の姿を、研ぎ澄まされた文章で変奏する。季節、食べ物、音楽…それぞれに異なるモチーフを使って多彩な風景をつくりあげた。
「一番大事なのは、登場人物が互いに対等であることですね。男も女も。対等じゃなければ関係はつくれない」
表題作では、掘り炬燵(ごたつ)を備えた家で一人暮らしを始めた34歳の女性作家のもとを、女友達が蜜柑(みかん)を持って訪れる。冬の代名詞ともいえる“炬燵蜜柑”を堪能しながら、男を「口説け」とたきつけられた独身作家が一歩を踏み出す姿を描く。何かの始まりを予感させる一編は、読み手の背中を優しく押すような明るさにみちている。
「そう言われると目的は達したなあと思いますね。本当は書いてみたいんですよ、暗い話とか救いのない話とか。でもなんか解決しちゃう。深刻なのは読みたくないという人もいるから(笑)」
短編集を精力的に編む一方で昨年は長編も書き下ろした。執筆ペースに衰えはみられない。「書くのは速いけれど考える時間は端折れない。話の一つ一つが違っていて常に別なことを考えないといけない。まあ、それが面白いから飽きないでやっていられるんです」(講談社・1700円+税)
海老沢類
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【プロフィル】片岡義男
かたおか・よしお 昭和15年、東京生まれ。50年に発表した「スローなブギにしてくれ」で野性時代新人文学賞。ほかの小説に『ミッキーは谷中で六時三十分』、評論に『日本語の外へ』など。