日本語⇔英語の往還から文学の可能性が立ち上がる
[レビュアー] 瀧井朝世(ライター)
「吾輩は猫である」を英訳すると「I AM A CAT」になるのはうなずける。だが現代人が「I AM A CAT」を日本語訳するとなると、「吾輩は猫である」とはいかないだろう。そうして名作の「訳し戻し」は原典とはまったく違った味わいのものになっていく。そんな試みから翻訳の妙味、創作の極意が見えてくるのが本書である。
タイトルに「2」とあるように、これは第2弾。第1弾は作家であり翻訳家の片岡義男氏と翻訳家の鴻巣友季子氏が、『高慢と偏見』や『長いお別れ』などの海外の名作の一部を“競訳”し論じ合うものだった。第2弾は趣向を変え、今度は鴻巣氏が小説家、つまりは翻訳が本業ではない人々を迎えての競訳だ。登場するのは奥泉光、円城塔、角田光代、水村美苗、星野智幸の各氏。テキストとなる名作の選び方もユニークで、『吾輩は猫である』の1909年の英訳であったり『アラビアンナイト』のスペイン語訳と英語訳であったり。
『吾輩は猫である』の冒頭の「I AM A CAT」を、奥泉氏は一人称代名詞を使わず「あ、猫です」と大胆に翻訳。その理由もなるほどと思わせる。『竹取物語』を担当した円城氏は英文の「Princess Moonlight(かぐや姫)」を「月光の姫」に「プリンセス・ムーンライト」とルビを振り、「robe of wings(羽衣)」を「ウィング・コート」と訳してSF風に。ホスト役の鴻巣氏は、ノーマル翻訳バージョンのほかに〈村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』風文体〉〈小学校中学年向け海外ファンタジー文体〉など遊び心たっぷりの訳も披露、自在に訳文を操る達人芸で読ませる。
対談も楽しい。『雪女』を担当した角田氏は自分の美文の訳について「改めて読んでみると、書き手が『どうじゃ!』と自慢している気がして嫌な感じがしますね」と小説家の矜持を見せ、水村氏は自身の『本格小説』の英訳に関わった際、登場人物の名前を変えた理由で驚かせる。課題小説の『アラビアンナイト』にさまざまなバージョンがあることに触れた星野氏は「模倣があるかぎり、文学に終わりはないと思います」と、文学の未来に光を感じさせる。
同じ文章でも、訳す人によって必ず差異は生じる。ではなぜそのように訳したのか、語らううちにその人の無意識下の思考や趣向、これまでの読書体験までもが浮き上がってくる様子は、謎解きや心理分析のよう。実に知的でスリリング、そして愉快な一冊だ。