笑いと呪詛とが相反する快感を呼ぶ短篇集

レビュー

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軽率の曖昧な軽さ

『軽率の曖昧な軽さ』

著者
中原, 昌也, 1970-
出版社
河出書房新社
ISBN
9784309024424
価格
2,090円(税込)

書籍情報:openBD

笑いと呪詛とが相反する快感を呼ぶ短篇集

[レビュアー] 小山太一(英文学者・翻訳家)

 残虐さと切羽詰まった笑いと呪詛と泣き言に満ちた奇妙な小説を書きつづけている中原昌也。彼の姿勢には、〈文学が嫌で仕方ない文芸誌執筆者〉を主人公にグダグダなコントを演じているようなところがある。嫌なら書かなければいいはずだが、それしか収入がない、と言って書く。あげく「書きたくて書いているんじゃないことしか書きたくないことが、どうして、わかってもらえないのか」と、やけにロジカルなダダをこねる。

 中原昌也の書くものが彼の内心で書きたくないものなのか書きたいものなのか、私も「わかって」みたくはあるが、それはつまるところゴシップだ。文章はまずテクストのパフォーマンス(活動)として評価されるべきで、「書きたくない」と書くこともテクストの一部なのだから。

 中原のパフォーマンスの本領は、世の中に充満しているボケボケの紋切型に意地悪い諧謔をこめて付き合いつつ、不意に暴力的な勢いで言葉の焦点を合わせ、一瞬後にはまた紋切型へと滑落してゆく動きにある。この運動性は本書でも快調だ。紋切型の洪水がテクスト全体にグロテスクなチープさを与えている一方、焦点が合った瞬間に立ちのぼる殺気は以前の作品に増して濃密である。

 例えば、冒頭の短篇「軽率」で語り手が菓子を投げ捨てる動作は「その場で可能な限り遠くへと投げ捨てた」と描写される。「投げ捨てる」という動詞にかかる短い副詞句の選択から、世界の無意味さへの怒りと苛立ちと滑稽な無力感を一気に噴出させることのできる言語感覚。現在、それを持つ書き手が他に何人いようか。

 私は、中原昌也の小説を文学として擁護したいのだろうか。自分ではそんなつもりはないのだが。とはいえこの文学嫌悪家は、自分の小説が文学の延命に、あるいはひょっとすると再生に加担してしまったらどうする気なのだろう――いや、これもまたゴシップに過ぎない。

新潮社 週刊新潮
2016年2月18日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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