谷沢永一 もう一度読みたい昭和の性愛文学
[レビュアー] 林操(コラムニスト)
中身は8年前に同じ版元から出た『谷沢永一 性愛文学』と同じ、つまりは改題新装版なのに、そういう案内は皆無で、シレッと新刊のフリ。カバーにあるタイトルの英訳も中学生が塾で×もらうレベル。
そういう粗相いろいろの理由は九分九厘、著者が5年近く前に亡くなっているからで、これが新発見の遺稿だったりはしないのも残念だとして、にもかかわらず、えらく面白いんですよ、また読み返してみても。
論争では不敗を誇り、『人間通』のベストセラーも持つ評論の巧者によるセックス文芸論―のはずながら、大谷崎の『鍵』を精緻に分析したりとかの、ありがちな展開は一切なし。
クライマックスが延々引用されるのは富島健夫に広山義慶だし、セックス指南書や医学論文まで持ち出して性技論や女性器論が即物的に語られる。世代体調趣味嗜好にもよるでしょうが、読んでてムラムラしてきちゃう読者もいるかと。
70代も後半だった著者当人の見聞や体験も遠慮なしに注ぎ込まれていて、性を切り口として文学を語るというより、文学を入り口として性を語る書。博覧強記体験豊富な大先輩との二人酒で高尚かつ実用的な猥談を聞かせてもらっているようで、股間は疼かなかったワタシも眉間の皺は伸びた。
そもそも著者は書誌学者で、「雑本」を愛した。自著が没後、愛すべき雑本として世に出直したこと、歓迎したんじゃないかな。