斬と裂き、凜と咲く

レビュー

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凜と咲きて

『凜と咲きて』

著者
矢野, 隆, 1976-
出版社
新潮社
ISBN
9784103340720
価格
1,650円(税込)

書籍情報:openBD

斬と裂き、凜と咲く

[レビュアー] 細谷正充(文芸評論家)

 痛快な時代バイオレンスから歴史小説、さらには人気コミックのノベライズまで、八面六臂の活躍を続ける矢野隆が、またもやリーダビリティ抜群の作品を上梓した。それが連作長篇『凜と咲きて』である。

 芸妓の凜は、料理屋《三ツ枡(みつます)》の小僧の伝助と共に家に帰る途中、侍の集団に襲われる。三味線に仕込んだ刀で応戦する凜。そこに割って入ったのが、本間進之助という侍である。これが縁になり凜は、進之助の贔屓を受けるようになる。しかしこれには裏があった。進之助は凜の家に転がり込んでいる十さんという男を狙っていたのだ。突然の斬り合い。凜と関係のある長屋の大家の藤兵衛が運んできた斬馬刀を手に、彼女は窮地を斬り抜ける。

 というのが第一話「凜と咲けり」の粗筋だ。続く第二話「義理と愛情」では、少し時間が巻き戻り、十さんこと別所十三郎と凜の出会いと、彼女の抱える暗い事情が描かれる。さらに第三話「老人と罪」では、凜を守ろうとする藤兵衛が十三郎の事を調べたことから、ふたりの事情がクロスする。第四話「飢餓と夢」では、敵方の進之助の、歪んだ欲望と心情が抉られていく。

 このように本書は、一話ごとに物語の視点人物が変わる、輪舞形式で進行する。必然的に、各人の抱える過去や秘密は、読んでいくだけで判明するようになっているのだ。したがってストーリーのテンポは軽快。ストレスなくページを捲れるようになっている。さらに最終話に至って、輪舞形式に企みがあることが分かるのだが、その点に触れる前に、もうひとつの重大なポイントを押さえておきたい。女性が主人公に据えられていることだ。

 室町末期を背景に、異能の傭兵集団の運命を活写した『蛇衆』でデビューした作者は、以後、歴史・時代小説に鮮烈なバイオレンス描写を持ち込み、独自の世界を創ってきた。そんな作風ゆえに、主人公は男であった。なぜならエンターテインメントにおけるバイオレンスは、基本的に男の世界なのだから。

 そのことを重々承知している作者は、凜にいかなるアクションを与えたのか。冒頭の仕込み刀でのチャンバラを読んで納得。斬り合いに特化することで、女対男の闘いを成立させているのだ。なるほど、よく考えられている。……という考察は、藤兵衛の持ってきた斬馬刀によって、あっという間に覆される。戦の中で騎馬を斬ったという斬馬刀。自身の身長よりも長いそれを凜は、縦横無尽に使いこなすのだ。ただ一閃で相手の身体を真っ二つにするチャンバラは、アクションというよりはバイオレンス。斬と裂き、凜と咲く。美しきヒロインのバトルが堪能できるのだ。

 その中でも、クライマックスの闘いは、もっとも凄まじい。捕えられた藤兵衛を助けるため、単身、敵の屋敷に斬り込んだ凜が、血まみれの大暴れ。短いセンテンスの積み重ねが、文章のスピード感を生み、彼女を躍動させる。そこに十三郎が駆けつけ、さらに伝助まで加わって、爆発するようなチャンバラが楽しめるのである。血が滾るとは、まさにこのこと。なにもかもをぶっ飛ばす斬馬刀の嵐に、胸がすっとした。

 さて、そんな風にワクワクしながら読んでいると、最終話「昨日と明日」で、物語のトーンがいきなり変わる。凜と十三郎が舞台から姿を消し、視点人物が《三ツ枡》の小僧の伝助に移るのだ。ちょこちょこと登場し、成り行きでクライマックスの闘いにまで参加してしまった伝助だが、彼はあくまでも料理屋の小僧だ。しかし鮮烈な体験が、彼を日常からはみ出させようとする。表の世界から足を踏み外しかけた伝助が、日常に回帰するまでのストーリーは、成長物語として実に読みごたえがあった。

 でも、作者はなぜ、最終話の視点人物を、端役にしたのか。おそらくは伝助との対比により、凜たちの抱える闇や、命懸けの死闘も、しょせんはちっぽけなものに過ぎないことを、露わにしたかったのではなかろうか。輪舞形式を巧みに使い、作者は凜たちの熱き闘いの持つ、別の側面も、表現してのけたのである。

新潮社 波
2016年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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