アメリカ人家庭教師が天皇家に及ぼした影響

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天皇のイングリッシュ

『天皇のイングリッシュ』

著者
保阪 正康 [著]
出版社
廣済堂出版
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784331519912
発売日
2015/12/25
価格
880円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

アメリカ人家庭教師が天皇家に及ぼした影響

[レビュアー] 福田和也(文芸評論家)

 太平洋戦争が終結した昭和二十年八月、皇太子明仁は十一歳であった。

 終戦後間もなく、昭和天皇は自らの意思で、皇太子にアメリカ人の英語の家庭教師をつけることを決めた。

 派遣されてきたのが、エリザベス・ジャネット・グレイ・ヴァイニング。夫を事故で亡くした未亡人で、敬虔なクエーカー教徒であった。

 ヴァイニング夫人は皇太子の英語の教科書に、当時アメリカの小・中学生が使用していた副読本を用いた。

『エブラハム・リンカーン』『私たちは成長する』『彼等は強くて善良だった』……十冊以上の原書に目を通した著者は、夫人による皇太子教育に三つの柱を見出す。

「自立する」、「民主主義がなによりも勝る」、「国を代表する立場に立つ覚悟を持て」。

 日本における最初の実践的民主主義教育を受けた皇太子はやがて、人類最大の悪である戦争を徹底的に避けることこそ自分の役目なのだということに思い至る。

 さらに即位した後には、歴代天皇の考え方を完全に逆転させ、政体(民主主義体制)の下に国体(天皇制)は位置するという、革命的とも言える考えを打ち出したと、著者は述べる。

 もちろん、今上天皇の思想の全てがヴァイニング夫人の教育に拠っているわけではない。

 しかし、英語を媒介とした夫人の教えが皇太子に、皇統の継承者として目指すべき道を模索する、新たな視座を与えたことは確かであり、その点を照射したことが本書の功績と言えよう。

「彼等は偉大でも有名でもなかった。しかし彼等は強くて善良だった」

 ヴァイニング夫人が日本に滞在した四年間、中学、高校を通して皇太子が感銘を受けたであろう副読本の一節一節を辿ることで読者は、戦後七十年を経た今なお、皇后とともに戦没者慰霊の旅を続ける今上天皇の深い御心に近づけるに違いない。

新潮社 週刊新潮
2016年2月25日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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