『吸血鬼』
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吸血鬼とは誰のことか 濃密な文体の「官僚小説」
[レビュアー] 小山太一(英文学者・翻訳家)
読者の便宜など頭から軽蔑しきった、突き抜けた不親切さ。その不親切に耐えるだけの被虐性を持ち合わせた読者に与えられる豊かな報い。世界における官僚機構の必要性と、それに伴う人間性への圧迫についての強い関心。表面の静謐が多大な努力で維持されつつも、すぐ下では醜悪と滑稽と恐怖と不条理がないまぜになって沸き返っている小説空間。
佐藤亜紀の新作『吸血鬼』に見られるそうした特質は、散文の古典性と相まって、イギリスのジョン・ル・カレを私に想起させる。何よりもこの二人に共通するのは、人間性に内包された人間性そのものへの裏切りを作品で探究しつづけている点だ。
とはいえ、つまるところ佐藤は佐藤、ル・カレはル・カレである。佐藤の独自の強みのひとつは、典雅な文体で俗の俗なるものを描き切る能力だ。それは『戦争の法』においても充分に窺われたが、『吸血鬼』では作品そのものの原動力となっている。
『吸血鬼』といっても、これは官僚小説である。より正確には、巨大な官僚機構の末端部を主な素材として扱う小説である。舞台はオーストリア帝国に組み込まれたガリチア地方 (現在のウクライナ西端)、十九世紀中盤。かつてはポーランド語の革命的詩壇の新星、現在は陰鬱な田舎地主として小作人の貢ぎで生活しているクワルスキを訪れるのは、新妻を伴って赴任してきた開明的で愛想のいい村役人ゲスラー。
暗と明の対照だが、物語が進むにつれて、光の諧調は奇妙な変化を見せはじめる。世界から遊離したクワルスキの暗さがどうしようもない滑稽さを帯びる一方、帝国の安寧のために村人たちの古俗を尊重しようとする行政官ゲスラーの明るさには、次第にある不気味さが満ちてくるのだ。その中で、〈吸血鬼〉の影がおぼろに浮かび上がってくる。
いいワインと同じで、この小説の香りを開かせるには手間をかけるほかない。私は二度続けて読んだ。