「正しさ」の根深さ 〈書評〉『子の無い人生』――能町みね子

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子の無い人生

『子の無い人生』

著者
酒井, 順子, 1966-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041015568
価格
1,430円(税込)

書籍情報:openBD

「正しさ」の根深さ

[レビュアー] 能町みね子(文筆業)

 人は子供を持つのが「正しい」。

 この、絶対的真理のような強い圧力を持つ固定観念の前に、子供の無い女性は常に屈服させられ、罪悪感と焦燥感を押しつけられながら生きている、と私は思っています。私なんて子供を持つ道を自ら断っているようなタイプなので罪悪感はなおさら。国が少子化対策云々なんて言うたびに「ハイハイ生きててすみません」と反射のようにいちいち思います。もはや子供を産まないで生きていることが政府への反抗のような気がしているほどです。

 国や政府という大きな問題を抜きにしても、結婚しているか否かよりも子供がいるか否かで周囲の人との関係性が変わってくるというのは、三、四十代になった女性が多かれ少なかれ感じることです。子供を持つ側、持たない側、お互いが気をつかってなんとなく疎遠になることも多い。

 まず酒井順子さんはよくこの問題に踏み込んだものだと思います。酒井さんは結婚していないし、子供もいないけれど、ふつう子供を持たない人は一般論としての子供の話を好みません。なぜなら冒頭のように、子供を持たない者が圧倒的に「社会的に正しくなさそう」で、都議会でのヤジよろしく「まずは産んでから」という自分の内なる声が聞こえてくるからです。

 子供を産んだ人は「お国の少子化対策」に貢献しているのみならず、将来的に自分の死を看取るであろう人も準備したことになる。一方で、子供のいない人は「お国のため」にもならず、いずれ死ぬときは姪や甥に迷惑をかけることになる。そう考えると、「結婚しない負け犬でもいいじゃない」とは言えても、「子供を産まなくてもいいじゃない」とは言いづらい。

 酒井さんも、少子化は当然問題視していますし、自分が子供を持っていないことについて基本的にいくばくかの罪悪感があります。自分を見て反面教師的に子供を産む人が増えるとすればそれは「人柱的使命」だと言い、経済的援助をしながら子供と手紙をやりとりする活動で疑似親的気分を味わうのを「子ナシの罪滅ぼし」と呼びます。その立場にありながら、沖縄の「産まない女性」について民俗学的調査をしたり、保守系女性政治家の「産んだうえで仕事もしないと一人前じゃない」という認識について考えていくのです。

 私は正直言って、最初は若干疲れてしまう部分がありました。私は「子ナシの罪滅ぼし」さえせずにのうのうと暮らしている。内容に共感はあるものの、単に私自身の罪悪感が助長されるように感じたのです。

 しかし読み進めるうち、世の子ナシ男性というものはどうやら女性ほど罪悪感もなければ焦燥感もないらしい、ということを知るにあたり、ハッとしました。出産も、不妊も、産まないことも、ごく最近までは往々にして女性だけの原因・責任ということになっていた。この本は酒井さんの著書なので私はなんとなく女性が読むものとしてとらえていたけれども、またも女性だけが「子の無い人生」について考えるなんてあんまりじゃないか。酒井さん自身も、時折現れる罪悪感の行き場には困りながら筆を進めているように見える。

 この本は、まずもって男性が読むべきではないだろうか。

 こう思いついて、私は悔しいような、それでいて少し霧が晴れるような、妙な気持ちになりました。この感覚を男も少しは負担しろ、と。

 酒井さんは「おわりに」のページに至ってもなお悩みつづけている。一冊費やしても倒せないほどに世間の「正しさ」は強いのである。「女性の活躍を」なんて気楽に言える男の人に、ぜひこの根深さを味わってもらいたい。

 女の人(特に子ナシの)にとっては、いっしょに悩みながら読む本となるでしょう。終わりのほうに、『徒然草』からの一節があります。それはやけくそで開き直った発言のようにも見えますが、私のような人間にとって一つの救いにもなりえる言葉です。私も「おわりに」まで読みきってやっと、世間の絶対的「正しさ」に打ちのめされながらもみんなでいっしょに迷い、時には開き直っていこう、という気持ちになれたのです。

KADOKAWA 本の旅人
2016年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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