江戸しぐさの終焉 [著]原田実
[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)
日本人らしい倫理観を身につけ、それを社会全体で共有し、次世代に伝えていく。道徳教育とはそういうことだと思う。しかしそのなかに、捏造された伝統がまぎれこんだ。
ひところ、公共広告機構のポスターでよく目にした「江戸しぐさ」がそれだ。すれ違うとき、相手に水をかけないように気遣う「傘かしげ」や、電車などで後から来た人のために座席を詰める「こぶし腰浮かせ」をはじめとして、いくつものマナーが江戸人の智恵として勧められている。
しかしこれはまったくの捏造であった。根拠となる江戸時代の文献は皆無。個々のマナーの内容も、よく見ると現代の町並み・服装・持ち物を前提としたものばかりで、江戸時代にそんなマナーが存在したとは考えられない。江戸風俗の専門家ならたちまち嘘だと見破れるしろものだ。
これに日本全体がだまされた経緯を追ってきたのが著者である。「江戸しぐさ」は、小中学校の道徳教材や公民教科書に多数掲載され、大企業の社員研修にも採用されてきたが、現代人にとってよいマナーであれば、由来は嘘でもよいのか。そんなはずはない。
偽造された伝統が義務教育で広められるのは恐ろしいことだ。著者は「江戸しぐさ」を捏造した人、広めた人、称賛した人それぞれの「その後の対応」を問うている。無関心というのがもっとも罪深いことなのかもしれない。