知識人の言説を吟味

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「近代の超克」論

『「近代の超克」論』

著者
廣松 渉 [著]
出版社
講談社
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784061589001
発売日
1989/11/06
価格
1,078円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

知識人の言説を吟味

[レビュアー] 東京大学新聞社編集部員

 現在でも健在の月刊文芸誌『文學界』(文藝春秋)。その1942年10月号に、ある座談会の記録が掲載された。座談会の名は「文化綜合会議シンポジウム―近代の超克」。『〈近代の超克〉論』(講談社学術文庫)は、その座談会の意義について論じる。

 この「近代の超克」座談会には、当時日本の言論界・思想界をけん引していた13人の気鋭が集った。哲学者、作曲家、詩人、物理学者と、その職種は多彩だ(余談だが、東京帝国大学の卒業生が半数に上る)。

 メンバーの一人、歴史学者・鈴木成高は「近代の超克」を「政治においてはデモクラシーの超克」「経済においては資本主義の超克」「思想においては自由主義の超克」と説明する。一般的な現代の読者から見ると、穏やかとは思えないこの「近代の超克」という標語は実際、戦時中の体制を勢い付ける流行語になった。ゆえにこの座談会は戦後長らく、無視されることに。「しかし」と、廣松渉は語り出す。

 廣松は、そもそも座談会のメンバーに「近代」の定義についてすら、統一見解がないことを指摘した上で、「超克」の仕方や問題意識の共有もされていないと明らかにする。哲学者廣松による、「京都学派」と称されたメンバーの哲学への厳密な検討は目にも鮮やかだ。

 まとまった成果を出すことなく終わったこの座談会のテーマだけは一人歩きを続け、満州事変や日中戦争、日米開戦に、結果的に正統性を与えてしまう。あくまで「合理的に」戦争の意義を説く当時の「知識人」たちを、座談会からすでに70余年を経た今、単純に批判すること自体はたやすいが、ただ否定するだけでは過去は過去のままだ。

 本書は70年代後半の雑誌連載を基にしている。廣松は、自身の哲学的探究の補助線としてこの座談会の研究を始めたというが、時流に乗った威勢の良い言説を、詳密に吟味していく作業は、どの時代にあっても大切なことなのではないだろうか。

廣松渉 1933年生まれ。哲学者。教養学部教授を務めた。主著に『世界の共同主観的存在構造』(講談社学術文庫)などがある。94年没。

東京大学新聞
2016年2月2日第2749号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

東京大学新聞社

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