『死都ブリュージュ』
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たそがれゆくブリュージュの町で出会った、亡き妻そっくりの女性
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
ヨーロッパ世紀末文学は「憂い」を主題にした。「憂愁」を詩に高めた。ベルギーの詩人、作家ローデンバック(一八五五―九八)の本作は憂いと静けさにひたされた小さな逸品。
ブリュージュはベルギーの運河沿いの町。かつてフランドル時代に商都として栄えたが、その後、衰退してゆき、十九世紀末には「死都」となった。
四十歳になるユーグは五年前、愛する妻を亡くした。知る人のいないブリュージュに移り住み、ひとり喪に服して憂いと孤独のなかで暮している。
世捨人のような男を慰めてくれるのはたそがれゆくブリュージュの町。人の姿のないひっそりとした通り、行き交う船もない堀割、灰色の石造りの家。そして教会と修道院。町そのものもまた繁栄を終え、喪に服しているよう。妻を失なった男はその静寂に心安らぐ。
岩波文庫版には原書にあった町の写真が何葉も入っている。写真というより古い銅版画のよう。堀割の町はフェルメールの「デルフトの眺望」に描かれた川沿いの町を思わせる。より憂色にみちているが。死都がこの小説の核になる。
ある日、ユーグは町で亡き妻そっくりの女性に会う。胸が締めつけられる。妻が亡霊になって現れたのか。
その女性は踊子だった。ユーグは彼女を追い、やがて交を結ぶ。しかし、行きずりの仲がうまくゆく筈もなく、最後には悲劇が訪れる。
ローデンバックは上田敏による訳詩集『海潮音』(明治三十八年)にその詩が紹介されたため日本の文学者には早くから名が知られていた。
永井荷風はこの世紀末詩人を愛し、ローデンバックのように廃市を歌いたいと書いた。北原白秋は「かはたれのロウデンバッハ芥子(けし)の花ほのかに過ぎし夏はなつかし」と詠んだ。堀割の町、柳河に生まれ育ち、故郷を「静かな廃市」と呼んだ白秋は人一倍、ベルギーの世紀末詩人に親しみを覚えたに違いない。
二十世紀の作曲家コルンゴルトに本作に材を取ったオペラ「死の都」がある。一昨年、日本でも上演された。