『私のサイクロプス』
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驚異の旅を御一緒に!
[レビュアー] 東雅夫(アンソロジスト・文芸評論家)
謎の新人作家、出現! 趣味は焚き火……という何とも人を喰った惹句とともに、怪談専門誌『幽』でミステリアスなデビューを飾った山白朝子(その正体が乙一であることは、もはや公然の秘密だろう)の三冊目の単行本が上梓された。
前著『エムブリヲ奇譚』(角川文庫)に続く〈和泉蝋庵〉シリーズの連作集である。
今でいう旅行ガイドのような「旅本」の取材・執筆を生業にしている、総髪の美丈夫・和泉蝋庵。該博な知識の持ち主だが、旅先で決まって道に迷う特技を有する。
蝋庵の荷物持ちとして旅に同行するために雇われた、博打と酒と女に目のない耳彦。
出版元の使用人で道中のお目付役でもある、しっかり者の小娘・輪。
道中記文学の大先達というべき『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんコンビに優るとも劣らない、珍妙な取り合わせの脱力系トリオだが、かれらの旅は想像を絶する苦難と怪異とバイオレンス&フリークスの連続。見かけによらずハードでシリアスな幻想紀行小説なのだ。
にもかかわらず終始一貫、読み心地が快適で、いつまでも三人組とともに旅を続けていたいと思えてくるのは、作者の真骨頂である骨太で驚きに満ちたストーリーテリングもさることながら、右のように絶妙なキャラクター造形の賜物だろう。収録された全九篇のうち、巻末の力作中篇「星と熊の悲劇」は、本書のための書き下ろしである。
物語の舞台は、戦乱の世が終わり、国々を結ぶ街道が整備され、人々が通商や娯楽を目的に旅をするようになった時代──ということは、おそらく江戸時代の初期あたりかと推測されるのだが、それと特定できる記述は、まったくといってよいほど出てこない。
いや、それどころか、「旅の仲間」である三人組が珍道中を繰りひろげる舞台が、本当に過去の日本なのか、それとも日本と酷似した異世界に設定されているのかすら……作者は一向に、読む者に手がかりを与えようとはしないのである。
謎めいているのは、時代や舞台の設定ばかりではない。
一見すると、なんとも浮世離れしていて、太平楽という言葉を絵に描いたような三人組だが、実はそれぞれにミステリアスな過去を秘めているらしいのだ。
「実を言えば、これまでに何度も、数え切れないくらい死んだことがあるのだ。でも、それはまた別のお話。蝋庵先生にも打ち明けていない、私の抱えている秘密である」
巻頭作にして表題作の「私のサイクロプス」は、通常は耳彦の視点で語られているこのシリーズには珍しく、輪の視点から綴られているが、開巻ほどなく飛び出したこの一節には、しばらく開いた口がふさがらなかった。おいおい、何者なんだよ、輪ちゃん……。
しかしながら、真の驚愕は、最後の最後に至って、もたらされた。
巻末の「星と熊の悲劇」の崇高美に満ちた大団円において、読者は本シリーズ最大の謎の一端を垣間見ることになるのだ。
そう、「なぜ蝋庵先生は、いつも必ず道に迷うのか?」という、あの大いなる謎である。
もとより、その詳細に触れるのは読者の愉しみを奪うゆえ厳に慎むことにするが、蝋庵の神秘的なキャラクターの背後に、作者がかくも卓抜なる奇計をひそめていたとは……いやはや、掲載誌である『幽』編集長として、連載開始からこのシリーズを見守ってきた私にも、想像の外であったことを告白しておこう。
全篇にちりばめられた怪異と奇想のモチーフの豊饒さといい、そこにオリジナルな味つけを施す趣向の妙といい、『日本霊異記』や『今昔物語集』に端を発する本朝説話文学の現代的継承と称するにふさわしい傑作エンターテインメント・シリーズである。