母性のありかを問う著者初のミステリー

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母性のありかを問う著者初のミステリー

[レビュアー] 河村道子(文筆家)

 黄色い花は房となって辺りに光を撒き散らす。そこだけ切り取ったように異国情趣溢れる風景を作り出すミモザ。その早春の花木がひっそり群生している場所があったなら――それを想像してみただけで平坦な日常もどこか浮き立つ。

 小粒のその花が一面に咲き誇るのを見て“炒り卵みたいですねえ”と感嘆する主人公の言葉に吹き出すのは、高校を中退して“お手伝いさん”となった彼女の“奥様”である美貌の女優。二人が、そして不思議な縁で絡み合っていくもうひとりの主人公が、生涯忘れることのできなくなるであろう光景として、著者はこの物語のなかで夢のようなミモザの群生地を描いている。

『パンの鳴る海、緋の舞う空』、『宇宙でいちばんあかるい屋根』、『海鳴屋楽団、空をいく』……ニューヨークに在住し、イラストレーターとしても活躍する野中ともその小説タイトルはまるで絵画の題名のようだ。その作品には色彩や魅力的なディテールはもちろん、音、匂い、味覚までもが鮮やかに活写される。持ち味である、ちょっぴり奇抜な設定と登場人物。そこから紡がれゆくストーリーは、日常のなかにあるものを驚きに変えつつ、心の機微、人のつながりのたしかさをゆるやかに読む人のもとへと届けてくれる。

 だが『虹の巣』と題された新作はこれまでの作品とは手触りを異にする。本書は著者初の長編ミステリー。物語は一九八〇年代と九〇年代を行き来しながら、二人の“お手伝いさん”の視点で進んでゆく。ひとり目は「よっちゃんに、この景色を見せたかったのよね」と共にミモザの丘へ旅をするほど、主・鈴子から寵愛を受けていた佳恵だ。人気絶頂のなか、冴えない脇役俳優・由崎克彦と結婚した実力派女優・鈴子との出会いは、商店街の小さな弁当屋の娘である佳恵が世田谷の撮影所に配達しに行ったときのこと。その後渋谷区松濤に構えられた由崎家で、佳恵はそれまでの燻っていた日々を振り払うように二人に尽くし、鈴子もまた佳恵を可愛がる。だが鈴子が娘を出産したことで様子は一変、悲劇が起こる。赤ちゃんが亡くなった状態で自宅から発見されたのだ――。

 もうひとつの視点が追う。事件から八年を経た由崎家には四つになる日阿子(ひゃこ)がいる。芸能一家の娘としてテレビドラマの主役に抜擢されたひゃこを温かく見守り、かいがいしく世話をする新しいお手伝いさんの暁子が、もうひとりの視点人物だ。

 同じ家庭の二つの年代。読者が引き付けられていくのは見えそうで見えないその間――空白のなかにある“境界”だ。事件はなぜ起きたのか? 娘を亡くし、スキャンダラスに報じられた由崎夫婦は? 信頼で結ばれていた鈴子と佳恵の関係はどうなったのか? ……そして暁子もまた、ひとつの“秘密”を抱き、この家庭に来た。

 瀟洒な住宅地と庶民的な街並みが一線を画しながら混在する物語の舞台――祖師ヶ谷大蔵のように、佳恵も、暁子も、鈴子も、自分の内にある境界と対峙し、ついその一線を越えてしまった暗い過去を抱えている。

 女の人生には境界が多い。たとえば結婚や出産をする、しないの選択は、生き方の舵を大きく変えていく。そして時に自分がした選択に苦悩し、境界線の向こう側にいるはずの自分に思いを馳せる。作中で暁子が自身に言い聞かせる“一度手放したものはもうほしがらない”ということを受け入れられたなら、どんなにか楽なのに、と思うほどに。一方で手放したくても、そうできないものもある。それが血のつながりであり、家族であり、殊に母娘の関係だ。色濃く娘の人生、そして母自身の生き方にも表れてしまう計り知れない“母性”。面倒だったり、恨めしかったり、狂おしかったり……本作では様々な形をとる幾組もの母娘から、母性というものの複雑さ、愛しさ、そして折り合いのつけ方が抽出されていく。

 著者、新境地のミステリー、だがその着地点はやはり野中ともそだ。真相とはまた別に、やわらかく心に降り積もる真実が浸みてくる。

KADOKAWA 本の旅人
2016年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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