真田信之を論じた初の本格評伝

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真田信之を論じた初の本格評伝

[レビュアー] 平山優(日本中世史研究者)

 本書は、初の本格的な真田信之の伝記である。祖父幸綱、父昌幸、弟信繁の華々しい活躍の陰に隠れ、信之の生涯やその事績の多くはほとんど知られていない。しかも意外なことに、信之研究は晩年の真田騒動を除き、まったくといってよいほど進んでいないのが現状である。

 その最大の原因は、大きく二つある。

 まず、信之発給文書の集成がなされていないことだ。信之在世期の真田藩政の史料(家臣団の発給文書や統治関係文書など)も同様である。

 ところが、現段階で依拠すべき史料集のうち、『信濃史料』は寛永期(一六二四~四四)で完結しており(信之の死没は、万治元年〈一六五八〉十月)、『大日本史料』は現状で元和期(一六一五~二四)までしか刊行されていない。

 また『真田家文書』は、松代真田家文書の集成であり、その他の文書を収録しているわけではない。

 つまり、信之の生涯と事績を追うための、基礎的な史料すら通覧できない現状にこそ、信之研究の困難さがあるのである。

 しかも、信之発給文書の多くは、無年号の書状が圧倒的に多く、それらの年代推定が着実になされなければ、せっかくの情報を編年で理解することができない。

 本書の著者黒田基樹氏は、中世史研究の泰斗であり、幅広い研究分野と多くの実績で知られる。黒田氏は、信之発給文書の集成を試みただけでなく、花押と印判の種類とその使用変遷を分析し、無年号文書の推定に重大な指針を与えた。これは気の遠くなるような仕事であるが、同様の仕事を数多く発表してきた黒田氏の真骨頂ともいえる。

 また、博捜した文書に登場する信之家臣団の仮名、受領、官途、諱などの変遷を分析した。

 この成果は、家臣個々の職制、実権などの推移を把握するための根拠となり、信之の領国支配の実態解明の前進に役立てられた。これらは、本書の最も特筆すべき成果である。今後の信之研究の指針になることは、間違いなかろう。

 本書では、信之の出生から沼田・吾妻領を嫡男信吉に譲り渡し、上田領に移る元和二年までの、政治史と領国支配の実態解明がなされている。

 信之は、慶長五年の関ヶ原合戦と父昌幸改易後、江戸幕府から沼田領を安堵され、上田領をあてがわれた。

 だが、この時信之が直面したのは、武田氏滅亡後、天正壬午の乱、第一次上田合戦、第二次上田合戦、そして浅間山の噴火や度重なる天災によって荒れ果てた領土だった。多くの村で百姓が四散しており、その復興事業は信之の最重要課題となった。

 しかし、時代は信之に領土復興の余裕を、そう簡単には与えてくれなかった。豊臣時代の伏見城普請、その後の江戸幕府による江戸城や越後高田城の普請など、公儀御普請は真田家とその領土に重くのしかかった。さらに二度に及ぶ大坂の陣が、これに加わる。

 年貢納入や借財に苦しむ村々、逃散する百姓たち、年貢収取をめぐって対立する代官と村人たち。さらに、度重なる課役と軍役で、借財を背負う家臣たち。どれも、政策判断を一つでも誤れば、百姓一揆や家中騒動を引き起こしかねぬ事態である。信之は、この難局にどのように対処していったか、ぜひ本書を熟読されたい。

 いっぽうで、真田家当主としての信之は、原因不明の難病に侵され、しばしば病臥を余儀なくされ、思うようなリーダーシップをとれない時期が続いたようだ。

 黒田氏は、信之の居場所を丹念に追究しており、また病気だった時期が意外に長いことなどを指摘している。こうした緊張感と苦難に満ちた、信之の半生を描破した本書は、今後、信之研究の定本として参照されることだろう。

 惜しむらくは、松代転封からその死去までには、筆が及んでいないことだ。今後の成果に期待したい。

◇角川選書◇

KADOKAWA 本の旅人
2016年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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