チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人 阿部菜穂子 著
[レビュアー] 塩野米松(作家)
◆園芸家が継いだ文化
題名のイングラムは英国の園芸家の名前である。彼は桜の研究家で「チェリー・イングラム」と呼ばれていた。日本の桜研究に大きな実績を残した英国の桜守イングラムの生涯を追った本だ。
彼は裕福な家に生まれた鳥類の研究者だった。二十一歳で初来日、日本の美しさに魅せられ、新婚旅行で再来日している。桜研究のきっかけはドーバー海峡に近いベネンドンに転居、庭園を造ろうとしたこと。その屋敷にあった日本の桜の美しさにひかれ、野生種や園芸種を集めて桜園を造り、一つ一つを観察研究した。
桜研究のために、大正十五(一九二六)年に三度目の来日。そのとき急速な近代化の中で伝統の桜文化が失われていくのを知り、その救出の一端を自分が担おうと決心する。その頃既に消滅した園芸種もあった。その一つが「太白(タイハク)」という大輪の白い花を付ける桜だった。たまたま、その桜は彼の庭に残されていた。イングラムは穂継ぎで増殖し、苦労の末に日本に里帰りさせることに成功した。
関係者へのインタビュー、残された日記や手紙の丹念な調査のなかで、桜研究に献(ささ)げた園芸家の姿を描き出すと共に、日本の近代化がもたらしたもの、ゆがめられた日本人の桜観、英国捕虜問題の和解に貢献した桜守たちなど、さまざまな問題が浮き彫りになっていく。英国在住の著者ならではの視点から描いた力作。
(岩波書店・2484円)
<あべ・なおこ> ジャーナリスト。著書『異文化で子どもが育つとき』など。
◆もう1冊
鈴木嘉一著『桜守三代-佐野藤右衛門口伝』(平凡社新書)。名桜の保存に努める桜守が、三代の「桜道楽」を語る。