夏目漱石の最も純粋な文学的表現は「漢詩」だった

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漱石詩注

『漱石詩注』

著者
吉川 幸次郎 [著]
出版社
岩波書店
ジャンル
文学/日本文学詩歌
ISBN
9784003315224
発売日
2002/09/18
価格
1,067円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

夏目漱石の最も純粋な文学的表現は「漢詩」だった

[レビュアー] 渡部昇一(上智大学名誉教授)

 夏目漱石が子供の時から漢学が好きだったこと。しかし兄に勧められて西洋に目を向け、英文学者として文部省の第一回の英欧留学をやり、東大、一高で英文学や英語を講じたが、それをやめて小説家、しかも近現代を代表するような大文豪になったということは誰でも知っている。

 その漱石が若い頃から漢詩を作り、特に晩年に至っては堂々たる七言律詩を作り続けていたことは、知る人があっても、それを重視して本格的に取り上げる人は没後永い間なかった。漱石の漢詩こそは彼の最も純粋な文学的表現であったこと。またそれは人に読ませるために作ったものでもなければ、人から勧められて作ったものでもなく、全く自分自身のために、已むに已まれず詠(うた)い出た自(おのず)からなる魂の声であることを洞察し、その研究を完結した一巻の本にされたのは和田利男先生の『漱石漢詩研究』(人文書院、昭和十二年=一九三七年)であった。しかしこの本は戦時中のものであり、戦後は漢文は忘れられて英語の時代になったので滅多に見ることができなかった。

 ところが幸いなことに、戦後二十年以上も経ってから、岩波新書から吉川幸次郎先生の『漱石詩注』が出た。この場合は、著者も超一流の学者、文人であり、出版社も、本の形式も漱石の漢詩を読書人にひろめるのに大いに役立った。その後は漱石の漢詩についての本も続々と出るようになった。比較文学会でも漱石の漢詩をテーマにするようにさえなったのである。

 吉川先生は漢学の大家であると同時に漢詩も作られる文人でもあられたから、その解説は実によくできている。漱石研究の書物は、それこそ汗牛充棟もただならぬほどあるが、この吉川先生の本は、漱石に関心ある人の必読書であると思う。和田先生の指摘なされたように漱石に俳句をすすめる人はいた。しかし漢詩は誰にすすめられて作ったわけではなく、全く自発的な、漱石の魂に最も近い表現形式だったのである。吉川先生はどこかで「漱石と乃木大将の漢詩は、同時代の清国の文人とくらべても一流である」という主旨のことを述べておられた。

新潮社 週刊新潮
2016年4月28日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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