[本の森 歴史・時代]『ヤマユリワラシ 遠野供養絵異聞』澤見彰

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ヤマユリワラシ : 遠野供養絵異聞

『ヤマユリワラシ : 遠野供養絵異聞』

著者
澤見, 彰, 1978-
出版社
早川書房
ISBN
9784150312169
価格
770円(税込)

書籍情報:openBD

『ヤマユリワラシ 遠野供養絵異聞』澤見彰

[レビュアー] 田口幹人(書店人)

『遠野物語』の舞台である岩手県遠野市では、江戸時代後期から大正時代にかけて、死者を追善供養するためにその肖像画が描かれた「供養絵額」が寺院に数多く奉納された。寺院などが主導した弔いの形ではなく、地域に住む者たちが自然に行うようになったといわれている。「供養絵額」は、鮮やかに彩られ、一見すると死者を描いているとは思えない。凶作や飢饉が続き、多くの者が凄惨な暮らしを強いられた末に命を落とした時代だった。せめてあの世では幸せな暮らしを、という願いを込めて描かれ奉納されたそうだ。澤見彰『ヤマユリワラシ 遠野供養絵異聞』(ハヤカワ文庫)は、不可思議な伝承が根づく遠野の風土を下地とし、「供養絵額」にまつわる物語を通じ、東北の厳しい自然の中を生き抜いた領民を描いた時代小説だ。

 主人公のモデルとなった外川仕候は、実在した「供養絵額」の絵師である。武士でありながら、趣味である絵ばかり描いていた外川市五郎は、赤い山百合に導かれるように座敷童のような少女・桂香と出会う。共に暮らし始めた二人は、抗うことができなかった過酷な現実に苦しんだ末に亡くなった人々の「ありえたかもしれない幸福」を、共作で一枚の「供養絵額」に描いてゆく。その絵は、親族を無くし悲しみに沈む多くの人々の心に光を与え、悲しみを和らげ、救うのだった。しかし、市五郎が一人で描いた一枚の「供養絵額」が、二人の運命とその地に住む名もなき多くの民の運命を変えてゆく。桂香との出会いと二人で描いた世界を後世に残すため、そして武士という身分であるがゆえに己の胸の内に抱え続けてきた積年の矛盾を解消するために、市五郎が「供養絵額」に込めた想いと覚悟に胸を打たれる。悲しみや怒りと諦めの先にある無の境地。そこに遺された者が一歩踏み出す勇気が、その「供養絵額」に描かれていた。

 著者はこれまで、『はなたちばな亭シリーズ』(KADOKAWA)や『もぐら屋化物語シリーズ』(廣済堂出版)など、人間とモノノケが共に生きる世界を舞台としたライト時代小説を描いてきた。本書は、それらとは明らかに筆致が違い、別のステージに進んだという思いが伝わってくる作品となっている。唯一、多賀狐というモノノケが登場するが、モノノケの役割が以前とは明らかに違う。モノノケありきではなく、多賀狐の存在を遠野という不可思議な地の象徴として描いた点に、今までの作品にない著者の想いを感じることができる。

 今年のベストを決めるには早すぎるが、私の現時点での今年のベスト1は本書である。

新潮社 小説新潮
2016年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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