梶よう子 刊行記念インタビュー「謎多き“幻の十一代将軍”徳川家基の謎」

インタビュー

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葵の月

『葵の月』

著者
梶 よう子 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041038185
発売日
2016/04/30
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

将軍継嗣の死後に失踪した書院番士をめぐって深まる謎――。〈インタビュー〉梶よう子『葵の月』

江戸から明治への激動の中、浮世絵を守ろうとした二代歌川国貞の苦悩を浮き彫りにした『ヨイ豊』(二〇一五年下半期直木賞候補作)で話題を集めた梶よう子さんの新刊『葵の月』は、幻の将軍の死をめぐる謎を描いた時代長編。本誌連載からの待望の単行本化を機に、作品にまつわるさまざまなお話を伺いました。

■謎多き“幻の十一代将軍”徳川家基

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――今回は、十代将軍・徳川家治の嫡男ながら、暗殺疑惑もある急死で将軍になれなかった徳川家基の謎が描かれます。なぜ家基を題材にされたのでしょうか。

梶 「家」の字を継ぎながら将軍になれなかった唯一の人物で、その死にも謎がありますから、家基という人が以前から気になっていたんです。期待されていた人が、暗殺なのか、病死なのか分からないまま亡くなったのは、物悲しくもあります。それで家基を題材にして書くことにしたのですが、その死の謎を解くというより、その死にかかわった人たちの悲哀を描くことを中心に据えました。

――梶さんには、相馬大作事件を描いた『みちのく忠臣蔵』、松平外記の刃傷事件を題材にした『ふくろう』など、本書と同じように、実際に起きた事件を、当事者ではない人物の視点でとらえた作品の系譜がありますね。

梶 事件そのものより、事件で迷惑を被った人や、被害を受けた人に興味があります。だから巻き込まれキャラが多くて、今回の志津乃や平八もそうですね。事件に巻き込まれた主人公が、何かを得たり、考えたりする物語を作るのが好きなんです。

――有名な事件を、なぜ角度を変えて切り取られているのでしょうか。

梶 事件を直接描くと歴史小説になりますが、私は一般の人を描きたいんです。どんな人にも、小さな事件は起こります。それでも人は変化しますから、大きな事件だと変化も大きくなりますよね。歴史を動かす大きな事件によって、人と社会がどのように変わるのかを見ていきたいという興味があります。

――物語は、家基の一周忌後に失踪した坂木蒼馬の許嫁だった立原志津乃に、高階信吾郎との縁談が持ち上がる「昼月」、武家屋敷ばかりを狙っていたため、家基暗殺に巻き込まれる盗賊の新助を描く「最中月」、毒物を偏愛し、家基暗殺への関与も疑われる医師の池原雲伯を主人公にした「月隠り」などと続く、連作形式になっています。家基の死の謎を複数の人物で描く群像劇にしたのはなぜですか。

梶 まず、章ごとに主人公を変え、エピソードがだんだん寄り集まって、真相へたどり着く構成にしたいというのがありました。それに、家基のことだけでなく、志津乃や新助、雲伯が抱える悩みや過去を一緒に描きたかったというのも大きかったです。

――各章のタイトルに「月」の字が入り、物語にも「月」が関係していますね。

梶 そうです。最初に浮かんだのが、本のタイトルにもなった「葵の月」です。葵は徳川家の家紋として有名ですが、六月を表すものなんですね。そこから派生させて、「月」が関係する言葉を選んでいきました。主人公が抱えている苦悩を「月」で表現するのは楽しい作業でしたし、「月」が付く言葉を探していて、人物像を作ったこともありました。月には「陰」のイメージもあるので、主人公たちの影の部分が次第に明らかになる物語には、向いていました。

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■タイトルの意味

――志津乃の恋愛が軸になると思っていたら、盗賊が活躍する話になり、さらに幕閣の権力闘争に発展していくので、いい意味で期待を裏切られました。

梶 志津乃が、蒼馬を捜しに行くと思っていると、どんどん違う方向へ進むので驚かれると思いますが、最後は落ち着くべきところに落ち着くので安心してください(笑)。

――本書では、家基の死をめぐる謎と陰謀が描かれます。梶さんは、これまでも『宝の山』『ことり屋おけい探鳥双紙』といった時代ミステリーを発表されています。やはりミステリーはお好きなのでしょうか。

梶 ミステリーだけをたくさん読んだことはありませんが、エラリー・クイーンなどの翻訳ものが好きで読んでいました。時代小説でも、池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」などの捕物帳はよく読んでいましたから、ミステリーは嫌いではないと思います。

――〈御薬園同心水上草介〉シリーズでも薬物を描かれていますが、本書でも薬物が重要な役割で出てきますね。

梶 江戸時代の人は植物を大切にしていて、その中から薬になる植物を探していました。ある植物が薬になるかを調べるのは、実際に試してみるしかありません。そのため、間違っていたら命を落とす一か八かの大勝負みたいなところがあったようです。多くの人が犠牲を払って見つけ出した薬物は、やはり魅力的です。薬物は、毒にもなり、薬にもなりますし、「毒を以て毒を制す」という考え方も好きなんです。

――毒にもなり、薬にもなるという発想は、後半の政治陰謀劇で、悪役と思われた人物が意外な働きをする展開とも重なっているようにも思えました。

梶 それはありますね。家基の死の謎という大きな事件を持ち出すまでもなく、ある人物が、自分にとって毒になったり、薬になったりというケースは、私たちの日常にも存在しているはずです。

――多くの登場人物が、二十歳前後と若いのに、老成しているのにも驚きました。

梶 この時代の二十代は、現代なら三十代くらいの精神年齢かもしれませんが、青春小説のような物語にすることは意識していました。蒼馬は、家基のお側近くで仕えていましたが、諫めるような傅役ではなく、歳の近い、友人のような関係にしています。

――その中で、毒物マニアの雲伯は、とらえどころがなく不気味でした。

梶 史実での雲伯は、家基の死から、しばらく後、別の暗殺に関与したとの噂が流れ失脚します。ただそれは本書より後の出来事なので、作中では、権勢欲が強く、出世の階段を上る男として描いています。

――町医者だった人が、奥医師(将軍家に仕える医師)になったという話も面白かったです。

梶 実際にあったようです。吉宗の頃には、それまで本道(漢方)の医師からは低く見られていた蘭方医も、奥医師になっています。医師は技術が重要ですから、幕府も実力を確かめて奥医師を決めていたのではないでしょうか。

――物語が進むにつれ、登場人物の裏の顔が暴かれていきますが、すべての衝撃が凝縮されていたのは、タイトルの意味が明かされるラストでした。これは、天才浮世絵師・三代歌川豊国の後継者になることを迫られた二代国貞の苦悩に迫る『ヨイ豊』を思わせます。

梶 『ヨイ豊』の意味は、比較的早く明かしたつもりなのですが、『葵の月』の意味は、最後の最後で明かすことになりました。各編につながりがある連作なので、一日一本ずつ読んで、最後にタイトルの意味を楽しんでいただけたら、と考えています。

■「秘密」が生み出すサスペンス

――家基の死の謎は、為政者の傲慢さ、庶民の命など歯牙にもかけない権力者の横暴を暴いていくことになります。これは、現代と重ねられているように思えました。

梶 現代社会は、昔のような年功序列、終身雇用ではないので、いつ給与を減らされるか、いつ解雇されるか分からなくなっていますよね。それでも相変わらず、政治の世界は権力争い続き。江戸時代のように邪魔者は排除しちゃえとはならないでしょうが、結局、迷惑を被るのは庶民です。現代の減給や解雇も、生活が奪われるという意味では同じ残酷さがあります。現代を直接描くのではなく、「江戸時代も今も同じではないか」という問題提起をしています。

――一つの謎が解かれると、物語が新たな局面に入る展開も面白かったです。

梶 「絶対に秘密は漏れる」もテーマの一つでした。隠し事をしている人が、「内緒だからね」と口止めしながら、誰かに話すことがあるじゃないですか。それと同じで、秘密を持った人間はそれを重荷に感じて、楽になりたくなる。人は我慢ができない、ほとぼりが冷めれば冷めるほど口を開くという「性」や「弱さ」を描いてみました。

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――隠されていた秘密は、物語をよりスリリングにしていましたね。

梶 家基の死に関係した人たちは、自分たちが持っている秘密の重要性を理解していません。だから秘密を漏らすと、どんな展開になるか予測できないんです。自分は何かにかかわっていると漠然と感じている信吾郎や雲伯は、秘密に触れてあたふたし始める。秘密が暴かれると今度は別の事件が動きだしますから、それが先の展開を読みにくくしているんでしょうね。

――隠されていた秘密が暴露され、家基の死に新たな光が当たる展開は、権力者によって歴史は都合よく書き換えられる、ということも示しているように思えました。

梶 権力者が必死で隠そうとした秘密が、手先に使った家臣や町人が思わず口を開いただけで表沙汰になる。それも歴史かもしれません。

――ドロドロした展開が続きますが、蒼馬と平八が最後まで爽やかなので、あまり暗くならないのもよかったです。

梶 暗い登場人物が多いので、蒼馬だけは最後まで家基への忠義を貫き、それでいてあまり熱くならない、飄々とした人物にしました。平八は私の好きなキャラクターだったので、志津乃のことが好きだったのに、途中で他の女の子に惚れるエピソードを加えたり、幸せになって欲しいと思いながら書いていました(笑)。

――家基に代わって後継者になったのが、多くの側室を抱え、子どもを生した家斉だと思うと、本書で描かれた騒動そのものが、歴史の皮肉に思えます。

梶 そうですね(笑)。家斉は、家基の法事を盛大に行い、晩年になっても命日に墓参しています。これは祟りを恐れたか、後ろめたさを感じていたとしか思えません。家斉は、誰が犯人かは知らないまでも、自分を将軍にするために激しい政争があり、家基が排除されたと感じていた可能性が高いです。これも家基の死には秘密が隠されていることの、傍証になるんじゃないでしょうか。

梶よう子(かじ・ようこ)
東京都生まれ。フリーランスのかたわら小説執筆を開始し、2005年「い草の花」で九州さが大衆文学賞大賞を受賞。08年、『一朝の夢』で松本清張賞を受賞しデビュー。以後、時代小説の旗手として活躍、『ヨイ豊』で15年下半期の直木賞候補となる。著者は他に、『お伊勢ものがたり』『立身いたしたく候』『ご破算で願いましては』『連鶴』など多数。

取材・文|末國善己 撮影|ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2016年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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