〈このミステリーがすごい!〉1位『犬の力』の待望の続篇

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ザ・カルテル 上

『ザ・カルテル 上』

著者
Winslow, Don, 1953-峯村, 利哉, 1965-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041019665
価格
1,320円(税込)

書籍情報:openBD

ザ・カルテル 下

『ザ・カルテル 下』

著者
Winslow, Don, 1953-峯村, 利哉, 1965-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041019672
価格
1,320円(税込)

書籍情報:openBD

あの一匹狼が帰ってきた――宿命の対決、再び

[レビュアー] 三橋曉(ミステリ・コラムニスト)

 養蜂をよすがに余生を送ったといえば、ご存じ晩年のシャーロック・ホームズだが、ここにもう一人、第一線を退き、蜂の世話に生きる糧を見いだしていたヒーローがいる。ドン・ウィンズロウが生んだ一匹狼のDEA(アメリカ麻薬取締局)捜査官、アート・ケラーだ。

 メキシコから国境を越えて陸続とやってくる悪魔の粉を断つため、麻薬カルテルと凄絶な闘いを繰り広げたケラーは、文字通りの死闘に精も根も尽き果て、ニューメキシコ州の修道院に流れ着いた。以来、かつては独断専行で〝国境の王〟の異名をほしいままにした彼も、敬虔なブラザーたちに倣って神に祈り、蜂たちとの平穏な日々を送っていた。ある日、悪い知らせを携えた二人組の男がやってくるまでは。

 今から七年前、話題の〈ミレニアム三部作〉をねじ伏せるように、『犬の力』は〈このミステリーがすごい!〉で堂々の一位に君臨した。この『ザ・カルテル』は、その続編にあたる。しかし、本書は単なる後日談ではない。

 少しだけおさらいをしておくと、前作のテーマは、アメリカ政府対メキシコの巨大カルテルの麻薬戦争だった。そして、かつては友人同士だった捜査官のアート・ケラーとカルテルを率いるアダン・バレーラの間に横たわる確執は、美しい娼婦とアイルランド系の殺し屋を巻き込み、血と暴力の絵巻を繰り広げた果てに、一旦の決着を見た筈だった。

 しかし、仇敵同士の二人をめぐる壮絶な年代記には、まだまだ続きがあったのである。訪ねてきたDEAの上司は、サンディエゴの矯正センターに収監中だった筈のバレーラが司法取引に積極的になり、ケラーの首に二百万ドルの懸賞金をかけたと告げる。『ザ・カルテル』は、蜂の巣箱に隠した装填済みのシグ・ザウエル九ミリ銃を再び手にした主人公が、修道院を後にするところから始まる。

『犬の力』が、世紀末をはさんで三十年間の物語だったのに対し、二○○四年から始まる本作で描かれるのは、ほぼその三分の一に過ぎない。しかしそこには前作にも増して、濃密な時間が流れていく。

 先にも触れたように、この続編でウィンズロウは、宿怨の物語に落とし込まれた前作の小説スタイルを繰り返すような屋上屋を重ねることは一切していない。物語の構造は、あたかも前作のマクロからミクロに転じたかのようで、いくつものミニマムなエピソードが、折り重なるように積み上げられていくのだ。

 五年ぶりにバレーラが舞い戻ったことにより、混沌に陥っていたメキシコの麻薬ビジネスの世界は、再編成を余儀なくされる。野心を燃やす元美人コンテストの女王の登場や、新興勢力の台頭、政略結婚の話が持ちあがるなど、新生なったバレーラ一統も決して一枚岩ではいられない状況が続く。家族をめぐる葛藤や打算、裏切りなど、ボスたちのさまざまな思惑により、カルテル間の勢力図は刻一刻と塗り替えられていく。

 一方、ケラーも最前線に復帰するが、メキシコ政府とのチームワークは、いまひとつ噛み合わない。SEIDO(組織犯罪捜査担当次長検事局)のアギラルとAFI(連邦保安局)のベラは、あたかもバットマンとロビンのようにケラーの前に現れるが、足並み揃わぬチームはみすみすチャンスを逸し、作戦は長期化の道を辿っていく。ケラーの頭を去らないメキシコ官僚に対する腐敗の懸念は、やがてワシントンを揺るがす深刻な事態を招くことに。

 ウィンズロウは、登場人物のひとりに、怒りを込めて語らせる。北米人が大麻とコカインを吸い、ヘロインと覚醒剤を打つたびに、国境の向こうでは暴力がエスカレートしていく。市民が現実から逃げ出すためにハイになる必要がある社会、そしてそのために隣人に血の犠牲を強いる社会は、どこまで腐っているのか、と。

 この壮大な物語は、麻薬をめぐるアメリカとメキシコの救いようのない歴史そのものといって間違いないだろう。

◇角川文庫◇

KADOKAWA 本の旅人
2016年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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