『仙人と妄想デートする』
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仙人と妄想デートする 看護師のナマの語りが照らす医療の未来
[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)
どんな仕事にも、理念や規範がある。しかしそれとは別に、「いま、この現場にとって最善の道」もある。規範の一般性と、「いま、この現場」の個別性とのせめぎあいのなかで、ぽっかりと浮かびあがるように第三の道ができる場合がある。
この本があつかうのは看護の分野だ。医療は「技術」「法」「倫理」の規範にきびしくしばられるが、「現場」の看護師たちは、規範を無視したり対抗するのではなく、規範を踏まえたうえで、その現場ならではの創造性を発揮する。そこに、患者にとっても医療者にとっても最もよい道があるのではないか。
それを看護師自身の「語り」から見ていく。幻覚や妄想のなかに生きている重度の精神障害者についての看護師の語りはこうだ。〈なんか、病院で一番関わらなければいけないのは、訴えに来ない人たちだと思ってるんですよね〉〈そういう人たちが、多分、一番、多分、うん、孤独な場所に居る〉〈ただ、なんか、こう、死んだように生きてる〉〈なんか、そういう人たちに、今、関われてるのが、なんか楽しい〉。未整理の、ナマの語りである。著者が着目するのは、「なんか」「多分」という語だ。「なんか」は、状況から問いかけられている場面。「多分」は状況の分析。困難な状況にどう向きあっているかが、語りにあらわれているのだ。これに続く部分では「やっぱり」という、自分から状況に応答しようとする語が頻出する。読み解きは大胆かつ繊細で、徹底して語り手の内部を照らしていく。
たとえば新聞や報道番組なら、この看護師の語りは枝葉を落とされ、重複を除かれ、きれいに整えられて伝えられる。でもそれは、「語り」に秘められた膨大な情報を勝手に選別する、「語り」をナメてかかる態度でもあるのだと気づく。
医療の未来を、技術の進歩ではなく、個々の人間の小さな心のはたらきに見出そうとするこの本に、心をうばわれた。