はじまりの戦後日本 橋本健二 著

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

はじまりの戦後日本 橋本健二 著

[レビュアー] 福間良明(立命館大教授)

◆格差の源へ混乱期に遡る

 『軍旗はためく下に』で知られる結城昌治の作品に『虫たちの墓』(一九七二年)という小説がある。主人公の村井は南太平洋戦線から復員したが、間もなく、大隊長に強いられて捕虜を処刑したことが露見する。村井は裁判にかけられることを怖(おそ)れて逃亡を図るが、終戦直後の荒廃もあり、その生活は貧しく不安定であった。闇市の貝焼き屋、漁師見習い、露天商等々。実家は歯科医で、村井も出征前は恵まれた画学生だった。だが、戦争と戦後の混乱により、従来とは全く異なる貧しさや暴力の中に身を置くことになる。

 生活や地位の激変は、この主人公に限らなかった。戦争遂行と敗戦は、人々の生を劇的に変えた。兵役と復員、戦時徴用と解除、戦災と疎開、植民地への移民と引き揚げ、戦後改革-多くの人々は、地理的な移動ばかりではなく、新しい職・任務に就き、あるいはこれを失い、新たな社会的地位を求めてさまよう社会移動を強いられた。

 では、その実相はいかなるものだったのか。本書はSSM調査(社会階層と移動全国調査)のデータや官庁統計、戦後初期の社会調査データを見渡し、戦時から戦後にかけての社会移動の実態を精緻に解き明かしている。

 ことに興味深いのは、農民層や労働者層、新中間層(管理事務職・専門技術職など)、資本家層など、階級ごとの社会移動の相違やその歪(ゆが)みである。それぞれの階級の出身者がどのように他の階級に移動したか。世代を越えて、それはどう変わったか。階級内部の格差はどのようなものだったのか。

 そこには今日の格差社会の史的背景を見ることができる。この十年ほど格差の問題が多く議論されているが、それは何も昨今には限らない。出身階級が本人の、あるいは次の世代の学歴や職業選択の幅に影響を与えてきたことを考えれば、格差の淵源(えんげん)は戦時や戦後混乱期に遡(さかのぼ)ることができる。社会学の分析を駆使しながら、歴史を通して現代の問い直しへと誘う好著である。

 (河出ブックス・1728円)

<はしもと・けんじ> 1959年生まれ。早稲田大教授。著書『居酒屋の戦後史』など。

◆もう1冊 

 栗原彬・吉見俊哉編『敗戦と占領』(岩波書店)。沖縄戦や帰還兵士の経験などから敗戦の意味を問う。シリーズ「ひとびとの精神史」(1)。

中日新聞 東京新聞
2016年6月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク