サハリン残留 玄武岩&パイチャゼ・スヴェトラナ 著

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

サハリン残留 玄武岩&パイチャゼ・スヴェトラナ 著

[レビュアー] 姜信子(作家)

◆強く生きる人々の声 

 ときに人はみずからは動かずとも、不意に頭越しに動く国境線によって、望まぬ越境を生きることがある。勝手極まる国境線に翻弄(ほんろう)されながら生き抜こうとする者たちの中から、やがて、国境線を踏み越え、国家の枠を横断する生のありかたを形作る者が現れる。それは近代国民国家の落とし子であると同時に、近代国民国家をじわじわと揺さぶる存在でもある。本書が描き出しているのは、そんな人々の生きる姿。日本・韓国・ロシアにまたがる生活空間を、それぞれに選び取った形で生きる十の家族の物語である。

 そもそものことの起こりは敗戦を境に植民地帝国日本が一気に収縮したこと。日本領樺太がロシア領サハリンへと変ずる過程で、多くの人々が日本の外へとはじきだされた。植民地もろとも放り出された朝鮮人はもちろんのこと、朝鮮人と結婚した日本人女性やその子たちも打ち捨てられた。国家はその手で辺境の不可視の領域に追いやった者こそを真っ先に捨てたのだ。その歴史的・社会的・政治的背景については本書の解説に詳しい。

 国家とは本質的に民を守らない。弱き者声なき者ほど守られない。それを思い知った民が生き抜こうとすれば、生きるということ自体がおのずと越境にもなろう、国家への異議申し立てにもなろう。ひそやかにしたたかに生きる者たちの声、この一冊から溢(あふ)れいずる。聴くべし。

 (写真・後藤悠樹、高文研・2160円)

<ヒョン・ムアン> 北海道大准教授。

<Paichadze Svetlana> 北海道大研究員。

◆もう1冊 

 片山通夫・吉翔(キルサン)著『サハリン物語』(ガリヴァー叢書)。サハリン(樺太)で戦前・戦後を過ごした朝鮮人たちの証言。

中日新聞 東京新聞
2016年6月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク