失われる伝統文化への警告

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失われる伝統文化への警告

[レビュアー] 山村杳樹(ライター)

 観光庁などの推計によると昨年の訪日客数は前年比五割増の約二千万人。消費額は七割増の約三兆五千億円に達した。それでも欧米に比べれば我が国の観光産業はまだまだ見劣りがする。本書が抉り出すのは、日本が観光立国へ向けて飛躍するための課題と、立ちふさがる障壁の問題点だ。著者はゴールドマン・サックスの金融アナリストを経て、国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社の会長兼社長に就いたという異色の経歴の持ち主。文化財行政の現場で積んだ実体験からなされる指摘は、具体的で極めて実践的だ。

 著者によれば、日本の文化財政策は、「器」は保護するものの「中身」である人間文化を排除する傾向が強いという。さらに内実を伴わない補助金制度が伝統文化に歪みをもたらしているともいう。特に第八章は、日本の伝統文化業界が抱える問題が生々しく報告されている。それによると「産地偽装」「技術偽装」を一番頻繁に行っているのが京都だという。例えば「京漆器」と謳う製品のほぼ百%に外国産漆が用いられているのが実態なのだ。外国産漆の使用を明記して安く売るならまだしも、京都ブランドに便乗して高値で売るのは「ボッタクリ」と言わざるをえないという著者の告発は正当だ。第九章では、壊滅的な危機にある「呉服」業界が分析されている。そこでは「価格の妥当性」に対する消費者の疑念が払拭されない限り和服の復権はないと指摘されている。

 著者は、日本の伝統技術が欧州と大きく異なるのは「一度も途絶えていない」ところだと評価する一方、この日本の「強み」は、現在の文化財行政の「建設的かつ哲学的変革」がなされないならば「今の世代をもって断絶」してしまう、と警告する。かつて日本の不良債権の実態を暴いたレポートで注目された著者の分析は論理的で鋭利。だが、その冷静な視線には、日本の伝統文化に対する愛惜の念が感じられる。

新潮社 新潮45
2016年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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