『牛姫の嫁入り』
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現代を映す、派遣忍者と太った姫の奮闘記
[レビュアー] 大矢博子(書評家)
「猫弁」シリーズ(講談社文庫)で人気の大山淳子が、実はデビュー前に時代物を書いていたと知って驚いた。二〇〇六年、脚本家の登竜門である城戸賞を受賞した『三日月夜話』がそれだ。
その作品がこの度、小説として書き直され、『牛姫の嫁入り』とタイトルも新たに読者に届けられることになった。大山淳子の実質的デビュー作と言っていいかもしれない。
舞台は徳川家宣の御世。忍びの派遣を請け負う三日月村で育った女忍びのコウは、やや鈍いところはあるが心の優しい守市とコンビを組んでいる。今回、雇い主の加納家当主から彼女たちに与えられたミッションは、大名・藤代家の娘を拐かしてくること。目的は息子との政略結婚だ。
ターゲットである藤代家の重姫は絶世の美女という噂だが、ここ十年ほど人前に姿を見せていない。そんな重姫の寝所に忍び込んだコウと守市が目にしたのは、牛と見紛うほど肥え太った姫だった――。
この出だしからして笑ってしまうのだが、藤代家に捕らえられたコウが、姫の父である当主に向かって「ひと月で重姫様を美しくしてみせる」と宣言したところから物語は一気に動きだす。果たして重姫は痩せられるのか? 加納家との縁談は実現するのか?
この「重姫ダイエット大作戦」が実にいい。重姫から食べ物を奪い、体を動かすよう仕向ける。それもただの運動ではなく、コウは重姫に家事をさせるのだ。働く姫に最初は驚いた家中の者が次第に慣れていく様子など、細やかな描写がいちいちおかしい。しかもやることが現代のダイエットにも通用するほど理にかなっているから、なおのこと面白い。
しかし次第に単なるダイエット奮闘記ではないということに気づく。そこからが真骨頂だ。本書は時代小説の舞台設定を借りて、現代のさまざまな問題を描いているのである。
美しくありたいと思う女性心理しかり、人格を認められない女性の立場しかり。重姫がなぜこんなに太ってしまったのかというあたりは、現代のひきこもりと家族の問題の映し鏡だ。ダイエット大作戦が楽しいだけに、重姫の心情は読者の胸に突き刺さる。
コウの問題もある。コウには同じ村出身の恋人がいたが、彼は村を出て幕府重臣の御庭番になった。一方、いくら仕事ができてプライドを持っていても、コウのような派遣忍びは、雇う側にとっては安値で使える都合のいい存在だ。身分が不安定ないわば派遣社員である自分と、大企業の正社員の彼との対比。これも現代の映し鏡そのものだ。
ここで考えさせられた。この時代にはまだ設立されていない「御庭番」という制度を敢えて使っているのは、時代考証に反してでもこの雇用の違いを際立たせるためだろう。登場人物のセリフにわざと現代的な語彙を混ぜているのも、物語をより現代に近しいものとして捉えてもらうための工夫だ。ダイエットもひきこもりも非正規雇用も現代の問題なのに、ではなぜ著者はこれを時代小説にしたのか。
その理由は「枠」にある。身分という、自分の力ではどうにもならない「枠」がある時代だからこそ、彼女たちの問題が夾雑物なく、クリアに浮き上がるのだ。忍者という斜陽産業の、しかも非正規雇用の地位にいるヒロインを上流階級の姫と会わせることで、いろいろな種類の「壊せない枠」と「その中でできること」を描いているのである。
今は、身分の区別はなくなった。けれど見えない「枠」が依然として人を縛っているように思える。そんな中でも、できる努力がある――というのが本書のテーマだ。自分を変えることも、目指すものに向かって進むことも、そしてもしかしたら「枠」を超えることもできるのではないか。自分の心をしっかり見つめて、あきらめさえしなければ。
派遣忍びと太った姫の奮闘記には、そんな思いが込められているのである。